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昨年11月に手話奉仕員養成講座の前期が修了。今年の5月(もうすぐですが…)に開講される後期まで半年あることから有志が集まって勉強会を行っていたのです。僕はその間いろいろなことがあったので、開講から2月くらいまでなかなか参加できませんでした。すると、あっという間に勉強会が修了、続けて後期講座が開始っつう…。時間経つのは早いんだわ(;´・ω・)


児島襄(こじまのぼる)の著作に「大山巌」がある。それを読んでいくと、大山が維新後に自分が開発した臼砲「弥助砲(戊辰戦争で使用したオランダ製の12ドイム臼砲を改良したもので、この当時、大山は弥助という名前であり、弥助砲は通称である。ほかに四斤山砲を改良したものもある)」を引いて江戸(東京)に入った。

その頃、西洋の軍隊には軍楽隊があることを知った大山弥助は、薩摩軍の鼓隊員30人余りを横浜の英公使館軍楽隊長のジョン・ウィリアムズ・フェントンに学ばせた。

ロンドンからトランペット、フルート、クラリネット、フレンチホルン、ドラム等が届き、本格的な練習をしようとすると、フェントンが「日本国家から演奏練習しよう」と言った。この頃の日本には国家がなかった。

するとフェントンは「自分が作曲してやるから歌詞を作って来なさい」と言った。困った鼓隊員が大山を訪ねて来て「どうしましょうか?」と聞いた。すると大山は「君が代があるじゃないか」と答えた。

「君が代」は、薩摩琵琶の「蓬莱山」の一節「目出度やな、君は恵は久方の(中略)君が代は、千代に八千代に礫石の、巌となりて苔のむすまで、命長らえて、雨塊を破らず…」(新泉社 「君が代は九州王朝の讃歌」 古田武彦」より)から引用したもので、薩摩藩主の島津日神斎が作詞したものだ。しかし、元々は天皇家よりも古い九州王朝時代の歌であり、それが薩摩琵琶となって古くから歌い継がれてきたものだ。当たり前のように言われる古今和歌集の一節「わが君は千代に八千代に…」ではない。

君が代はのちに明治13年に宮内省式部寮雅楽課の林広守が作曲し直し、海軍省傭教師のフランツ・エッケルトが編曲して正式に国家となる。

「その選定の主唱者が大山弥助(巌)であり、求めた原歌が“薩摩歌”であったことは、まちがいない」(児島襄 大山巌Ⅰ戊辰戦争)より。

「君が代」は、薩摩琵琶よりも古い九州王朝の歌であり、君が代の“君”とは九州王朝の女王のことではないか?と、古田武彦さんは書いている。

君が代は、天皇家中心の一元史観で国民を洗脳してきた明治薩長政権が、ねつ造したものなのである。

20代の頃に、よく旅行をした。25歳の時の東北(青森・秋田・山形)をはじめ、松本、関西(京都・福井・兵庫)、東北(岩手)、湯河原…。車では、もう沢山ありすぎて、どこに行ったのかも忘れてしまった。この写真は関西に旅した際のものだ。ひとりで自殺の名所である東尋坊に行った際には「自殺するのか?」というような変な目で見られた。

「夜の郵便配達」

1.

 深夜、尿意を催してゆっくりとベッドから起きあがった。はっきりと目覚めないように睡眠意識を制御し、寝ぼけたままの状態を維持しながら暗い部屋の中を歩いた。僕の場合、一度目覚めてしまうと再び睡眠に入るのが大変なのだ。

 すると玄関のドアがカチャリと音をたてた。「気のせいか?」と思いながら、恐ろしい強盗や幽霊でも入ってきたらと考えたら恐怖心から永遠に眠れなくなっちゃうかもしれないと無視して便所に入ろうとした。すると玄関のドアの外から、低音の、しっかりと聞き取れる声で「夜分申し訳ありません、郵便です」と言う声が聞こえた。

 「え?」(こんな時間に郵便配達がくるわけがない、空耳だろうか?)

僕は例えようのない恐怖感に襲われて動けなくなってしまった。

「郵便です、夜分申し訳ありません」またドアの向こう側から声がした。目が覚めてしまった。(やはり新手の強盗かもしれない…)

 恐怖心が増幅する。思わず台所の洗い場に歩いて放置したままになっている薄っぺらな刃の包丁を握りしめて、ドアスコープを静かに覗く。声の主は本当に郵便配達の格好をしていた。しかし目深に被った郵便配達の制帽にさえぎられて彼?の顔は見えない。

 「どなたでしょうか?」

 「はい、郵便配達です」

 「こんな夜中に郵便配達しているわけがないでしょう。警察を呼びますよ」(せっかく熟睡していたのに目が覚めちまったじゃないか、ちくしょう…きっと犯罪者だ)

腹が立った。無意識に玄関のドアを足で蹴る。威嚇したのだ。しかし、相手が無秩序で無道徳な強盗に素人の威嚇の効果があるはずがない。

 「あはは、心配しないでください、本当に郵便配達なんですよ」

 「それじゃ、ポストに入れといてくださいよ、真夜中に驚くじゃないですか?」

 「ところがあなたの受け取り署名が必要なんです。書留のようなものです」(怪しい…やはり強盗だろうか? 絶対に開けるものか)

 「それじゃあ申し訳ないけど今じゃなくて、明るくなってからまた来てください。夜中に郵便配達するなんて聞いたことがないし、普通の人なら夜中に玄関のドアを開けて向かい入れたりしないでしょう?」

 「はい、ご不審もごもっともです。でも僕の担当が深夜なんです。だから昼にはお届けできないんです」

 「そんな馬鹿な郵便があるはずがない、夜中に限定した郵便って何なんですか?」

 「あなたの大切な人からのお手紙なんですよ…」

2.

 「大切な人の手紙…」

 「そう、あなたの大切な方からのお手紙なんですよ」(大切な人…誰だろう? 僕の周りにいる人は家族も親族も少ないながら友人も大切な人だ? )

 「誰だかわかりますか?」

 「わからない…友人ですか?」

 「違います」

 「あなたの身近な…もうこの世にはいない人ですよ」

 「…もしかしたら…」

 「おわかりになりましたか?」

 「…父ですか? 母ですか?」

 「あなたのお母さんからですよ」(母は一ヶ月前に死んだばかりだ。母は末期の肺がんで苦しみながら死んだ。僕は病室で母の最期を看取ったのだ。しかし、母と話したのは死ぬ数日前のことで、死ぬときには目も開けずに死んでしまった。ひとことだけ、「さよなら」と言いたかった)

 「申し訳ありませんが、そろそろ私は次のお宅に手紙を配達しなくてはならないのです。夜が明ければ私は手紙をお届けできなくなってしまうんです。ドアを開けていただけますか? あなたのお母さんからの依頼書に署名していただければ、手紙をお渡しして私は次のお宅に伺うことができるんです」

 「いや、信じられませんね、死んだ母からの手紙など存在するはずがないでしょう」

 「間違いなく、あなたのお母さんからの手紙です。お母さんがお亡くなりになってから、私に手紙を託されたのです」

 「そんな馬鹿な、死人…つまり、幽霊…から手紙を受け取ることなんて人間にできるはずがない」

 「私は人間ではありませんからね」(ぷっ、何を言いやがる、ふざけるな、幽霊だって言うのかよ? それとも死神か? こいつは人間だ、しかも恐ろしい強盗なんだ、もうわかったぞ)

 「ははは、ふざけるな。お前は強盗だろう? からかうな、絶対に開けないぞ」

 「それでは、お母さんに、この手紙をお戻しすることになります。二度とお母さんからの手紙を読むことはできなくなりますが、それでもよろしいでしょうか? 」

 「そんなもの元からないんだろう。ふざけるな」

 玄関のドアがドンと音をたてた。また玄関のドアを蹴ってしまった。

 「はは、わかりました。それでは、あなたのお母さんに手紙をお戻しします。手紙をお渡しできるのは今だけなんです、それでは…」

 玄関の外の共有廊下を郵便配達員が歩くカツカツという固い足音が聞こえた。(母からの手紙というのが本当だったらどうしよう? 手紙は母の遺書かもしれないのだ、いや、ありえない、死んだ人間から手紙など届くはずがない)

 郵便配達員の足音が遠ざかっていく。(どうしよう? クソっ!)

 僕は包丁を握り締めて玄関のドアを開けた。

 プシュッという空気が漏れた音がしてドアが開いた。真夜中のはずだが玄関の外は真昼のように明るかった。数メートル離れたところに郵便配達員が立ち、こちらを見ていた。

 「思い直しましたか?」顔ははっきりと見えないが、郵便配達員が笑った気がした。

3.

 郵便配達員は、たすきに掛けた大きな鞄から一通の封筒を取り出して差し出した。

 「やっと、あなたのお手元に届けることができました」

 「すみません、ドアを開けなかったのは強盗かもしれないと思ったからです。悪気はないんです、夜中の郵便配達なんて聞いたことがなかったものですから、どうか気を悪くなさらないでください」と言いながら封筒を受け取った。

 「大丈夫です、私の見た目が怪しいのが悪いんです、かねがね反省しなければならない点だと思っているのです。私は郵便会社の者ではございませんし、現世では真夜中の郵便配達員なんかおりません。もう、お察しのことと思いますが、私はこの世の者ではございません。私はあなた方が幽霊と呼んでいる者ですから、怪しまれて当然なのです」

 「ええ、あなたは幽霊なんですか? やっぱりそうなんですか。でも不思議と恐怖感がないんですね、何でだろう…僕は夢を見ているのかもしれないなぁ」と言いながら頬をつねってみる。

(痛い、夢じゃないな)

 「夢じゃありませんよ、私は本物の幽霊です。でも幽霊といえば、何の根拠もないのに人を祟るとか呪うとか悪い印象がありますからね。誠に遺憾に存じます」郵便配達員の口元がゆるんだ。多分笑っているのだろう。(おっと、すると僕はこいつに呪われているのかもしれない。だからこうしてうまいこと言って僕の前に現れたんだ、でもそれならこいつは誰だろう。呪うというならば僕の知人であり、僕を恨んでいる者のはずだ。今気がついたが、聞き覚えのある声だ…誰だろう…とりあえずは早く家の中に入ってドアを閉めよう)

 「ありがとうございました、ご苦労様でした」僕はそう言って家の中に入ろうとした。しかし、家のドアがない。ドアどころではない、いつの間にか僕の部屋もアパートもない。僕は空中…もやもやとした雲のような中に浮遊していた。

 「ああっ」声を出して驚いた。

 「大丈夫です、手紙をお読みになればご自宅にお戻りになれます」

 「え…」

 「あ、申し訳ありませんが、手紙はこの場でお読みください」

 「え…」

 「本当に申し訳ありませんが、手紙は今、ここでお読みください」

(何だ、ここで手紙を読めだと…)

 「お母さんの手紙は、あなたがお読みになったら、私が持ち帰らなければならない決まりなのです」

 「ええ、それじゃ僕の手元には母の手紙が残らないんですか」

(冗談じゃない、俺の母親の手紙だぞ)

 「残念ですが、そういう決まりなのです」

 「嫌だと言ったら…どうなるんですか」

 「申し訳ないですが、手紙を返していただきます。同時に私と会った記憶もなくなってしまいますがね」

 「…」

 「お母さんが伝えたかったことも、あなたは永久に知らぬまま人生を終わるのです」

 「そんな馬鹿な…」

 「あなたが拒否されたらということです。この場でお読みいただいて、私が手紙を回収して冥界に戻れば、何の問題もありません。さあ、お急ぎいただけますか、私は次に向かわなければならないのです」(幽霊に何を言っても始まらない、諦めよう、僕がここで手紙を読めばいいんだから)

 「はいはい、わかりました、でも、母からの手紙を手元に残したいと思うのは当たり前でしょう」

 「気障なことを言うようですが、あなたが手紙をお読みになれば、お母さんの思いがあなたの心に刻み込まれるのです。形があるものはいつか壊れますが、記憶したことや経験したことはあなたの中に永遠に残るんです。形がないものこそ真実なんですよ」(幽霊のくせにずいぶんとまともなことを言うじゃないか)

 「幽霊といっても、もともと人間でしたからね、たまにはまともなことも言いますよ」

 「えっ、あなたは僕の心を読めるんですか」

 「幽霊ですからね」

4. 母の手紙

 相変わらず妹に迷惑をかけているのかい。お前は還暦が近い歳になっても子供みたいに落ちつ かないんだからね。困ったものだね。少しはまともになりなさい。

 それはともかく、お前が私の病気は「ただの風邪だ」って言うから、私はすっかりその言葉を信じてしまったじゃないか。だから私は自分が死んだことにしばらく気がつかなかったんだよ。確かに毎日死ぬほどに苦しかったけど、いつかは治るものだと思っていたんだよ。いつかは自宅に戻れ ると思っていたんだよ…。それが一瞬、チクっと痛みを感じたと思ったら死んでいたんだからさ。ところで私の病気は何だったんだい、まさか肺がんだったんじゃないだろうね。今更どうでもいい話なんだけど凄く息苦しかったからね。

 大丈夫だよ、そんなことでお前を恨んだりしないから。

 お医者さんも看護師さんも本当に親切にしてくれた。私はあの人たちにすごく迷惑をかけたと思っているの。だって、おしっこもウンチの片づけもあの人たちの世話になるしかなかったんだからね。この年になっても人に自分のおしっこやウンチを見られるのは嫌だったよ。お前も覚えているだろう、私が脳梗塞で倒れて吐いた時だって、私は自分で吐いたものを人目に触れないように片づけてから救急車に乗ったじゃないか。

 だから病院にはお前の方からよろしく言っといてちょうだい。医者や看護師さんたちを逆恨みしちゃダメだよ。あの子たちのせいで私が死んだんじゃないんだからね。

 まさか、私が死ぬとはね…。いつもお前たちには死ぬ死ぬなんて冗談を言ってたけれど、まさか本当に死んじゃうとはね、驚いたよ。冗談で言ったことがあるけど、わたしは本当に100歳まで生きるつもりだったいいんだからね。まだまだビールも飲みたかったしね。

 でも、死ぬのも良いもんだよ、もう病気の苦しみはないし、気楽なものだよ、私はこの通り元気だしね。死んでいるのに元気っていうのは変だね。可笑しいね。お前とはもっと話したかったけど、年をとると伝えたいことも忘れてしまうものだよ。

 そうそう、この人にこの手紙を届けてもらった理由はね、お前に一言だけお礼を言いたかったんだよ、ありがとうってね。私はいきなり死んじゃったからお礼を言う時間もなかったからね。

お前には感謝してるよ、本当にありがとう。じゃあまたね。

追伸

 忘れていたよ、こっちではパパにも会えて、今、私は幸せだよ。

5.

 「オヤジに会えたのか…あの世に行けば死んだ人間に会えるっていうのは本当だったんですね」僕は母の手紙を読み終えると安心した。涙こそ出なかったが、胸につかえていた母に対する後悔の気持ちが払拭できた気がした。

 「会えるようですね、そうでなければ人が生まれたり死んだりする意味がないように思えます」

 「そうですよね、親子や結婚相手とは絶対にそうあってもらいたいです。そうでなければ親や結婚相手としての資格がないですよ」

 「全てお読みになったようですね」配達員が言った。

 「はい…」

 「それでは手紙を回収して私は次に向かいます」配達員の手が僕の前に伸びてきた。手紙を渡せということだ。

 僕は慌てて、「あ、あの…手紙を手元に残しておくわけにはいかないんですか」と言って手紙を持った手を引いた。

 「それは無理ですね、手紙をご覧なさい」郵便配達員の言葉で僕は手紙を見た。

 「あ、ああ…」母からの手紙は手の中で徐々に消えていく。暖かな掌で解ける新雪のように、母からの手紙は見る間に跡形もなく消え失せてしまった。

 「それが回収するということなんです。あなたが手紙を読み終えたら手紙は消えてなくなるんです」

 「それなら初めからそう言ってくれれば…。どうせ手紙が消えちゃうのなら、あなたの前で読む必要もなかったじゃないですか」

 「申し訳ありませんが、お渡ししたらすぐに読んでいただく必要があるのです。しつこいようですが、それが決まりなのです。回りくどいのが私の性分でして、再び遺憾に存じます」

 「いや、怒ってはいませんよ、おかげで胸につかえていた母に対する後悔の念を拭い去ることができましたよ。ありがとうございました」

 頭を下げた。すると郵便配達員は僕の頭を撫でながら、「あれから何年経ったのかは俺にはわからないが、お前も随分変わったな。髪の毛は真っ白だし皺だらけで、それに何だその腹はみっともない…」と言った。やはり聞き覚えのある声だった。

 「あっ」(気がついた、この声は…)頭を上げて配達員の顔を見た。

 「やっとわかったのか、相変わらず鈍いな」郵便配達員が制帽を取った。見覚えのある顔が見えた。14年前に死んだ父の笑顔だった。

 「オヤジ…だったのか」涙が溢れ出た。

 涙が目を覆って父を消した。

 「またな…」父の声が遠くに去って行く。

 いつの間にか雲が消えて僕は自宅の玄関前に立っていた。

「ドライブスルー」

1

僕が車を持っていたときのことだ。その日は夕方から茨城県の土浦にある顧客の会社まで営業に出かけたのだが、顧客との打ち合わせが終わったあとに食事に誘われ、気がつけば午後10時を過ぎていた。翌日は朝早くから神奈川まで出かけなくてはならないので、慌てて顧客と別れて帰路についた。国道6号を走って取手から利根川を渡る橋を過ぎたころ、「ドライブスルー」というネオン看板が見えた。

2

その店は外資のファストフードとは明らかに違う陰気な佇まいだが、数台の車が並んでおり、意外にも繁盛しているようだった。不思議なことに店名が表示されていないので、わからない。大きなネオン看板には売られているであろうメニューがいくつもの毒々しい色のネオンで表示されている。ハンバーガー、ピザ、フライドチキンと、ごちゃ混ぜ感のある品揃えだ。妻はピザが好きなので妻への土産にと速度を落として、国道からゆっくりとその店のドライブスルーの列に並んだ。

3

スルーの車列に車を並べると、異様な雰囲気に気づいた。ファストフードならば店舗そのものが、たくさんの照明に照らされてわりと賑やかな雰囲気であるのだが、この店舗は、布で巻かれた電源コードの先のソケットに裸電球がねじ込まれて、店舗の軒からぶら下がっただけの照明が、3つほど人魂のようにゆらゆらと揺らめいているだけで、それは山奥の集落の一軒の田舎家であるかのようだった。

人魂電球は、規則的に車列の前後をゆらゆらと照らしており、まるで僕を「おいでおいで」と誘っているかのように見える。そのうち車列は少しずつ進んでいく。それに、いつの間にか僕の車の後ろには3台の車がついているのに気がついた。僕の前の車がまた進んだので「陰気な店なのに結構、流行っているんだな」と呟きながら少しクラッチを上げてアクセルを踏んだ。

4

車を進めると、注文した食べ物を受けとる窓口が見える。ドライブスルーの窓口は、注文されたものを受けとるところだが、よく考えるとこの店にはその前に注文を受けつけるマイクがない。直接窓口で注文して、調理されたものを受けとるというシステムのようだ。

ちょうどその時、3台前の車に窓口から食べ物を差し出す手だけが見えた。裸電球だけの灯りだからだろうか、その手がやけに青白く見えた。3台前の車が前に進んだ。その前は漆黒の闇だ。すると車は闇のなかに吸い込まれるように進み、闇を裂くようにテールランプがはねあがって消えた。どうやらこの先は急な坂道になっているようだ。

5

僕の前の車の番になった。「人生の最後に食べるのは何がいいかね?」と言う声が窓口から聞こえた。中年くらいの男の声だ。すると「分厚いミディアムレアのステーキが食いたかったよ…」と前の車の運転席から男の声が聞こえた。「あはは、ステーキでも大丈夫。何でもできるよ。ちょっと時間がかかるけどね…」「じゃあ、ステーキを頼むよ」「あいよ」というやり取りのあと静かになった。しばらくすると、すすり泣く声が前の車の運転席から聞こえた。思いもかけずドライブスルーでステーキが注文できるということに感動したのだろうか?

「ステーキ?そんなものまでできるのか…しかし、窓口から聞こえた「人生の最後に食べるのは何がいいかね?という言葉の意味はなんだろう…」5分ほどすると窓口から大きな鉄皿のなかでジュウジュウと心地よい焼き音をたてるステーキが差し出された。それは見たことがないほど大きな肉だった。

6

「わぁ、でっかい肉だね」前の車の運転席の男が嬉しそうに言った。「これで成仏できるだろう?」窓口の男が言った。「食い物で満足して死ねるかよ」「そりゃ、そうだ。でも食いたいものを食えずに死ぬのは寂しいぜ」「そうだね。ありがとう…うううう…」「泣いちゃいけないよ、居眠り運転したあんたが悪いんだからね」「徹夜明けだったんだよ。後悔してるさ」「だから、どこかに車を停めて仮眠すればよかったんだよ。今さら後悔しても遅いよ。さぁ、そろそろ行かなくちゃ…」「あ、そうだね。ステーキありがとう。あ、ところで、これはどこで食えばいいの?」「あの世の入り口にサービスエリアがあるから、そこで食べなよ。ステーキは永遠に熱々だから気をつけてね。でも、美味いぞ」「わかった。じゃ、ありがとう」そう言うと前の車は闇に消えた。

7

「成仏とか死ぬとか居眠り運転とか…ずいぶん縁起の悪いことを言っていたな…冗談にしては趣味が悪い。よほど仲のよい常連なのだろう。多分、居眠り運転で事故でも起こしたんだろう…」「次の方、お進みください」僕の番だ。「早くピザを買って帰ろう」軽くアクセルを踏んで窓口の前に停めた。窓口の奥は真っ暗で人の姿は見えないが、たぶん先ほどの声の主のものだろうはずの両手だけが見える。そして「人生の最後に食べるのは何がいいかね?」と声が聞こえた。「あのぅ…人生最後ではなくて、僕は妻にピザを買って帰ろうと思っているんですが…」「あなたの奥さんにピザを持って帰るのは無理だよ」「看板にピザって書いてありましたよ」「うん、ピザでも何でも食べ物は作れるけど…ね。ああ、あんたは気がついていないんだね」「気がつく?何にですか?」「あんたは死んでいるんだよ」

8

驚いた…。死神(彼は自分のことをそう呼んでいるが…信じられない)は、僕が死んでいると言う。

「僕はもう怒りましたよ」怒ったことを、わざわざ口に出すのも滑稽だ。

「僕は何も注文しませんよ。自宅に戻ります」

「そんなこと言っても、もう手遅れだよ。聞き分けのない人だね。あんたはもう死んでいるんだって…生き返れないんだよ」

その時、僕の車の後ろについている車の運転席から女性が顔を出して「早く、食い物注文して、さっさとあの世に行けよ。後ろがつかえてるんだよ!」と怒鳴った。「ちょっと待ってくださいよ…あ」怒鳴った女性は見たことがある顔だった。「あ、吉野さんじゃないか?」女性は高校の同級生だった吉野黎子だった。

「あんた、誰?」吉野黎子は僕を覚えていなかった。落胆した…。

「江藤等だよ、覚えてないかな?」

「えとうひとし?」吉野黎子はしばらく考えていたが思い出せない様子だった。

「どうでもいいわよ、私たちは死んでるんだから。早く注文しなさいよ」と言い放つと車の中に顏をひっこめた。僕は高校時代に吉野黎子に片思いしていた。あの頃の吉野は男子学生にモテた。長身で美人だったので当然のことだが、彼女は特定の男子学生とつきあうこともなかったようだ。ただ、当時、女性と交際したことがなかった僕のような平凡な人間には、男女関係の機微なんて理解できるはずもなかった。

「あんた注文どうするの?」死神が聞いた。忘れていた。死神と話していたのだった。死神は相変わらず窓口から出ている両手しか見えない。

「注文したら死んじゃうみたいだから、もういいです。買わないで帰ります」

「だから、死んでるんだから帰れないって言ってるだろう。わからない死人だな…」死神は呆れたように言った。

「僕は死んでいません。帰ります」と言いつつ、僕は車を出て吉野黎子の車に向かって歩く。車をバックさせるためには彼女の車が邪魔だからだ。

10

吉野黎子が座る運転席の横に立った。

彼女は僕に気づかず俯いて震えている。先ほどまでの様子とはずいぶん違う。

「どうした?」声をかけると黎子が顔をあげて僕を見た。瞳が濡れているように泣いていたのだ。

「なによ?」

「悪いが車を少しバックさせてくれ。こんな侮辱を受けたのは始めてだよ。言うに事欠いて死んだとは趣味が悪い冗談だ。気分が悪いから帰りたいんだ」

「だから私たちは死んでいるから帰れないし、ここは一度入ったらバックができないのよ。私の車の後ろを見なさいよ」

黎子の言う通りに彼女の車の後ろを見ると驚いた。いつの間にか終わりが見えぬほどの車列が続いている。長く長く続く車列は…まるで永遠に続く不幸な時間のようだった。

11

果てしなく続く車列は死者を見送るための葬列のように見えた。それぞれの車は幽かに灯るヘッドライトを点けており、それは生から死への道筋を作っているかのようだった。

今頃気がついたのだが、ドライブスルーの店舗と車列以外は漆黒の闇だ。足元さえ見えないので、僕は黒い空気の層に浮遊しているような感覚に陥る。昔の漫画…あれは水木しげるの「墓場の鬼太郎」だったかムロタニツネ象の「地獄くん」だったか? それには地獄へと運ばれる道の絵があったと記憶しているが、まさにあのような風景が目の前に拡がっていたのだ。

「自分が死んだことを、なんとなく理解できたようね?」黎子が言った。

「僕は・・・本当に死んだのか?」足が震えた。自分の死を受け入れなければならないのか?

「そうよ、もうどうにもならないの…」黎子が諦めたように言った。

さきほど黎子が泣いていた理由が何となく理解できた。思いがけずに起きた自分の死を、素直に受け入れられないからなのだろう。

それにしても僕は何故死んだという意識がないのだろう? スルーの店員は心筋梗塞で死んだと言っていたが、僕は車を運転してここに立ち寄ったという意識しかない。心筋梗塞を起こしいたとしたらいつなんだろう? 

「さぁ早く、あなたの最期の晩餐を選びなさいよ」黎子が促すように言った。

「いやだ…」

「まだ受け入れられないの?」

「そうだよ。いや、死んでもいい。死んだことを受け入れてもいい。でも、僕はせめて妻に最期の言葉を遺したいんんだ。最期にひとめでも会いたい…」

「それは無理よ。死ぬとは死者の真意を生者に伝えられないものなのよ。でも、死を受け入れられない理由があるってことはあなたはまだ幸運だったのよ。私なんか何もなかったもの…」黎子が寂しそうに俯いた。

12

“生命を持つモノにとって生と死は表裏一体である。生も死も出発点であり到達地点でもあるから同一である。つまり…同じ人生(運命)を永遠に繰り返す永劫回帰である”と説いたのはニーチェであったか、それとも違う哲学者であったか…? それが真実であるならば、僕は死んで、また生まれた時間に戻るだけだ。そして、またこうやって心筋梗塞で死ぬまで同じ人生を繰り返すのだ。「死など恐れるものではない…」僕はそう考えていたが、いざ自分が死んでみると素直に死を受け入れるわけにはいかない。思い残したことがあるからだ。妻は突然死してしまった夫をどう思うのだろうか?

黎子もまた、思い残したことがたくさんあるのだろう。

「君は結婚していたのか?」

「…」

「話したくなければいいさ」

「結婚なんかしなかったわ。仕事が楽しかったもの…。恋愛はしたけれど、退屈だった。だから一生独身で過ごそうと思っていたのよ。でも今は後悔しているわ。私には私が死んでも悲しんでくれる人間がいないのよ」

「ご両親は?」

「とっくの昔に死んでいるわ。兄妹もいなかったしね」

「思えばつまらない人生だったけど、だからこそ悔いが残るのよ…」

「そうか…君に比べれば僕は幸福だね」

「そうよ、ふふふ…」初めて黎子が笑った。

「じゃあ、車に戻って注文するよ」そう言って僕は自分の車に戻ろうとすると、黎子が「ちょっと待って…」と引き留めた。

「あなたはまだ助かる方法があるかもしれないわよ」

13

「助かる?」車に戻る足を止めて黎子の顔を見た。

「そう、あんたはまだ死を意識していないでしょ?」

「うん、意識するも何も、仕事が終わって妻への土産を買おうとしてここに入ってきたら、お前は死んだって言われて…」

「それはね、多分、まだはっきり死んでいないのかもしれないのよ」

「はっきり死んでいないって、どういうこと?」緊急事態なのに思わず笑ってしまいそうになった。

「私もよくわからないけど、ここに来る人たちは皆自分が死んだことを理解しているのよ。あんたのように自分が死んだことに気づいていない人はいないのよ」

「それはその人が心筋梗塞で突然死したからだよ…」店舗の窓口の男が言った。

「そんなことないわ、ここに来る人たちのほとんどは交通事故で急死しているんだもの。言ってみれば、全員突然死よ。私は違うけど…」黎子が口ごもった。

「そう言うあんたは排ガス自殺だったな…ふひゃひゃひゃひゃ」窓口の男が言った。死神らしくふざけた笑い方だ。腹が立った。窓口の男と言っているが、顔が見えたわけではないので断定できないが、声は明らかに野太い男の声だ。

「自殺…? なんでそんなことを…」

「理由は、さっきも言ったじゃない。つまらない人生だったからよ。私の事なんかより、あんたが生き返る方法を考えるのよ」

「おいおい、余計なことを言うなよ」死神が慌てたように言った。

14

「何? あんたは死神でしょ? 死んでいない人間を、あの世に送っていいと思っているの? 閻魔様に怒られないの?」黎子が脅すように言った。

「ちっ…」死神が舌打ちをした。窓口には両手しか見えないから違和感がある。

「死神でも舌打ちするんだ?」

「もとは人間だからね…」死神の言葉に僕は少し驚いた。

「へぇ~そうなんだ…」黎子が感心したように言った。

「そうなんですか? 人間だったんですか?」僕も感心した。

「じゃ、閻魔様も人間だったんだ…」黎子がつまらないことに関心を持ったようだ。

「戦時中の総理大臣だったんだよ」死神が言った。

黎子がそれを聞いて「だから、意地悪く、罪もない人間をあの世に送っちゃうんだ」と笑った。

「確かにそうだね。実は俺も終戦時の陸軍大臣だったんだよ。うひゃはははは」死神も笑った。

「あんたのせいで戦争に行って死んだ人たちはかわいそうだ」黎子が吐き捨てるように言うと「俺は終戦に貢献したんだぜ」と死神は言った。

「そんなことどうでもいいのよ。この人を生き返らせなさいよ¡」

「俺の一存では決められないよ」

「じゃ、閻魔さんに連絡しなさいよ」

「ちっ…」

「何よその態度?」

「その男は助かっても、あんたは助からないぞ。それでもいいのか?」

「あたしたちは元同級生ってだけで恋人どうしってわけじゃないから。それにあたしは死んでるって自覚してるからね」

「わかったよ…」死神が折れた。

「え、僕は助かるのかい?」

「多分ね…」

15

「ここをまっすぐ走ればあの世に着くが、その前に休憩所がある」

「海老名サービスエリアとか道の駅みたいな…?」黎子がローカルな質問をした。

「まぁそんなもんだ。でもメロンパンは売っていないし、そこにいるのは皆、死人だけどね」

「やだね、そんな休憩所…」黎子が口を尖らせてハンドルの上に顔を伏せた。

「休憩所はここで与えた食事を食べるところ…最後の晩餐をする場所だ。休憩所の出口は左右に分かれており、右に向かえば地獄、左に向かえば天国らしい…」

「らしいってのは?」

「俺は地獄に行ったからそっちは知らないんだ」

「うひゃははは!」黎子が大声で笑った。

「とにかくどっちにも向かわずに引き返してくるんだ」

「引き返す?」

「そう、休憩所からこっちに戻って来るんだ。全速力でな…ただし…」

「ただし…?」

「無事に戻れるかどうかはわからないよ。これまでも往生際の悪い奴が何度か戻って来ようとした奴があったらしいが、皆、地獄に落ちたらしい。でも、あいつらは死んでいたからな…。お前は死にきってはいないようだから、多分、戻れるだろう」

「なるほどね」黎子が頷いた。

「人は死んだと思ったら、もうおしまいなのよ…」

16

「そう、諦めたときが終わりなのさ…」窓口の死神が言った。

「でも交通事故死は無理だね? 肉体を失ってしまうからね」

「彼は心筋梗塞だったし…。奇跡的に最後の力を振り絞って車を路肩に停めた。巻き込み事故にもならなかったから肉体を失ってはいないもんね」

黎子は、僕が死んだ状況を詳しく知っているようだが何故なんだろう? 聞いてみた。

「ところで、君は何故、僕の死んだ状況をそんなに詳しく知っているの?」

「この際だから話すけど、私もそこで死んでいるのよ」

「え?」

「あんたが車を停めた路肩で私は自殺したのよ」

「路肩なんて自殺する場所じゃないだろう?」

「ふん、サービスエリアじゃ人目につくし、おせっかいな人間が私を助けるかもしれない…。車が走っている高速の路肩だったら、故障車だと思って誰も気にとめないじゃない。絶好の自殺場所よ。マフラーから車の中にホースを引き込んで自殺する準備を整えて、睡眠薬を飲んで意識が朦朧としてきたときに、あなたの車がちょうど私の車の前に停まったの…だから、見たのよ。それが、高校の同級生だったあなただったので少し驚いたけど…」

「なるほどね…あ、よく考えたら、君だって排ガス自殺だから肉体を失っていないじゃないか?」

「そういえばそうだな…」死神が言った。

「私はダメよ、死んだことを意識してるから…」

「諦めたら終わりなんだろう?諦めなきゃいいのさ、そうだろう?死なんて儚いもんだぞ」僕が言った。

「死とは儚いものだけれど、それは身近な者の死を目撃した人間の主観であって、死んだ当人は自分の命を儚いとは思わない。命を終えたことで、あの世で満足するものなんだよ。あの世でよかったってね…」死神が黎子を惑わすようなことを言ったが、僕も、まんざらでたらめではないような…真実をついた言葉のような気もした。

17

僕はまだ生きていたい。突然死んだら妻はどうなる? まだ寿命があるであろう彼女の人生を、僕の突然の死で滅茶苦茶にしてはならないのだ。死は恐ろしい…。死ぬという感覚は、生から命を失う境界に至るまでの神経を刺激する「痛み」や「苦しみ」以外想像できない。だから僕は突然の死を受け入れることはできない。痛みや苦しみの後の漆黒の闇…そこには光明など見えない。真っ暗な道は、いけどもいけども痛みと苦しみの連続であるに違いない。

死神の言葉を聞いて、迷ったように俯く黎子に「ねぇ…」と声をかけてみた。返事がない。

それでも生に執着させてみようとして続けて声をかけた。

「ねぇ、死神の言葉なんかに惑わされずに僕と一緒に戻ろうよ…ありきたりだけど、生きていれば良いこともあるしさ…」黎子に向かって、そう言った後に自分の浅はかさに驚いた。「ありきたりな言葉は人を傷つけるだけ…」人間は無意識で自分でも思いがけない軽薄な言葉を口にしてしまうことがある。

「ふん…」やはり黎子には通じなかった…。

「私はこのまま死んでいいのよ。誰も私の死を悲しんでくれないから」

「そんなことはない。君は今まで生きていたんだから、毎日誰かと話をしたろう? そうだ、君の職場の人間はどうだ? 突然君が自殺なんかしたら悲しむに違いない…」

「…」

「悲しんでくれるかもしれない人間がいるだろう? たとえば君の同僚が突然自殺したらどうだ? 君は少しも悲しくないのか? 仲は良くないかもしれないけど、一緒に仕事をした仲間だぞ、俺だったら悲しいぞ。そうだ、君が死んだら僕は悲しいぞ。こうやって死ぬなと言っているのに、君が言うことを聞かずに人生に未練がないなんて言って死んでしまったら俺は悲しい。俺が悲しまないためにも死ぬのはやめて僕と一緒に戻るんだ!」

「うるさいわね、しつこい男は嫌われるのよ…」黎子がハンドルから顔を上げた。

「そんなこと関係ない。君に嫌われても、否、世界中の女性に嫌われても僕はしつこく言うぞ。死ぬな、死んではいけないんだよ!」

「ばっかじゃないの…」黎子が笑った。

18

「おやおや、生きる気になっちまった…しょうがないね」死神が嘆いた。

他人の不幸を願う者は、他人の幸福を疎ましく思う…否、その感情は憎悪に変わるのだ。死神は不幸な男だ。彼の話から想像するに、多分、政治家であり、軍人であった彼が生きていた時代は自分の事しか考えぬ身勝手な人間だったであろう。

「あんたにつきあうことにしたわ」黎子が車から出て言った。

「でもひとつだけ約束してほしいの…」神妙な表情をしている。

「なんだろう?」

「私をあんたの愛人にしてよ。そうすりゃあたしは寂しくないわ」

驚いた。高校時代に片思いの相手に愛人にしてくれと言われたからだ。恥ずかしいが本気にしてしまった。

「え、それはできない。俺は妻を愛しているからね…」顔が真っ赤になったのがわかる。妻を愛すると言ってしまったからか、それとも黎子の愛人告白からか? 周りが漆黒の闇であるから助かった。

「ばかね、冗談よ」黎子が屈託なく笑った。

「私だって高校時代の冴えないあんたを思い出すから嫌だよ。ただ、かつての同級生として、友だちでいてほしいのよ。相談相手になってほしいのよ。あんたに電話したりメールしたり相談出来たら、寂しくないもの…それだけで生きることができるわ」

「お安い御用さ。ったく…驚かせないでくれ」

「で、おふたりさん…どうするんだ?」

「生きるよ」

「生きるわよ」

僕と黎子が同時に言った。

「それじゃあ、おふたりさん、生きる道を進みなよ」相変わらず窓口の死神は両手しか見えない。最期まで彼の顔を見ることはできなかった。僕と黎子はそれぞれ自分たちの車に乗り込んだ。

「じゃあ、黎子ちゃん、行こう」

「うん」

黎子の返事を待ってアクセルを強く踏んだ。

2台の車は闇の道を走る。

「あ、おい、食いものはいらないのか?」死神の声が聞こえた。バックミラーを覗き込むと、死神の顔が見えたような気がした。

19

ドライブスルーを抜けて、しばらく走ると、突然、目の前が明るくなり、ひらけた場所に出た。死神が言っていた最後の晩餐を行う休憩所だった。休憩所は言い表せぬほどに広大で、休憩所そのものは真夏の昼間のように明るいのに、見上げると空だろうと思われる天空はは真っ暗だった。駐車場には規則正しく白線が引かれて、駐車スペースを指示している。休憩所には数えきれないほどの車が駐車していた。周囲を見回すと遥か地平線まで車が駐車しており、その間を縫うように死へ旅立つ車が出入りしていた。奇妙な情景だった。

僕と黎子は開いたスペースに車を停めて外に出た。外気は春の高原のように爽やかで涼しげなそよ風が吹いている。もしかしたらここが天国なのかと勘違いしてしまうほどに居心地が良い。

周囲に停まっている車の中を見ると、ほとんどの人間が泣きながら最後の食事をしていた。カレーライスにラーメン、餃子、炒飯にチャンポン、皿うどんにパスタ…まるで大型スーパーのフードコートだ。さらに見たこともない高級そうな料理を食べている者もいる。生前は金持ちだったのだろう。先ほどドライブスルーにいたステーキ男もいた。肉を噛みしめながら号泣している。

「消化に悪いだろう…」僕が呟くと、「バカね、あの人たちは死んでいるんだって…」と黎子が笑った。

黎子と2人で周囲を見回すと、中には幼い子どもや老人たちもいるし、外国人たちもいた。外国人は見たこのない料理を食べている。

事故死した際には誰であるのか判別できないほどにバラバラになっていた死者もいたのかもしれないが、皆、元の姿に戻っていた。人間たちだけでなく、彼ら彼女らが乗っていた車もきれいに元に戻っているのだろう。

「凄い数の死者たちね…」黎子がため息をついた。

「これは日本だけの死者ではないね。多分、全世界の交通事故死者たちなんじゃないか?」

「そうかもしれないね。毎日これだけの数の人間たちが死んでいるのね…」

「どうする? すぐに出発するか?」

「そうね、急がないと、私とあんたの死体は焼かれてしまうわ。そうなったらもう戻れない」

「そうなのか?」

「多分そうだよ、だって肉体がなければ元の姿に戻れるわけがないもの」

「なるほどね、じゃあ急ごう。元来た道を戻るんだ」

「うん…」黎子が頷くのと同時に互いに車に乗り込み、アクセルを踏んだ。

僕と黎子の車のヘッドライトが漆黒の闇の道を照らして死神のいるドライブスルーを目指して進む。

20

死神がいるドライブスルーが見えてきた。ちょうどいいから速度を落として走りながら彼に挨拶していこうと思った。ドライブスル―には車の長蛇の列ができている。ゆっくりと死神がいる窓口まで車を進める。

「おい、何やってんだ!逆走は危ないだろ!」「お前ら、往生際が悪いぞ。逆走禁止だぞ、何やってんだ!」「バカ野郎っ!」スルーに並ぶ数台の車から怒りの声が聞こえた。

「うるさいわね!道をあけなさいよ!」黎子が叫んだ。元々この道は、あの世への一方通行の道だ。スルーがある道はさらに狭い。ドライブスル―の死神が騒ぎを聞いて窓口から死神が顔を出した。死神の顔は、歴史の本に掲載された写真の顔だった。

「お、戻ったな? ふたりとも、そのままずっと逆走を続けるんだぞ…。おい、こいつらを通してやってくれ!」死神がスルーに並ぶ車に向かって叫んだ。死神は優しい男だったんだ。

その時だった。死神が異様な雰囲気に気がついて僕たちの後ろを見た。

「お、これはヤバいな…お前らの行動を見て、後ろから死にきれない死人たちがおって来るぞ。あいつらも生き返りたいんだな…。ここで注文した飯を食った死者は絶対に生き返ることはできないのに…」

バックミラーを見ると、後方から多くの車が追跡してくるのがわかった。先ほどの最期の晩餐広場から追跡してきた車だ。死神が言うように、さっきの死者たちが自分たちも助かると勘違いして、私たちのあとを追ってきたのだった。

「彼らと一緒では生き返れないぞ!ただでさえ生還できる確率は低いのに、あんなに大挙の死者が殺到したら生き返る確率はゼロだ。あいつらに追いつかれないうちに、さあ、早く行けっ!」

黎子に向かって大きく頷くと、僕たちは横並びになって走った。アクセルを強く踏んだ。

「わあっ!」死神の叫び声と衝撃音が聞こえた。僕たちを追ってきた1台の車がスルーに突っ込んで、そのままスルーに並んだ多くの車に激突して数台から炎が噴き出した。

21

「死神は大丈夫か?」

彼を心配している暇はない。死神なんだから決して死ぬことはないだろう…。このまままっすぐ突っ走るんだ。黎子の車も横並びで走っている。

バックミラーを見ると炎に包まれたドライブスルーがみるみる遠くなっていく。

「これで、魍魎たちは追ってこれないだろう…」

しかし、バックミラーには炎をかいくぐってたくさんの魍魎車が僕たちを追ってきているのが見えた。

「しつこいな…」

その時、目の前に大きなトンネルが見えた。あれを抜けると僕は生き返ることができるのだろうか? 心配なのは追っ手の魍魎たちだ。彼らを何とか食い止めないと僕と黎子は生き返ることができない。

走りながら黎子を見た。彼女もまた僕を見ていた。彼女が笑った。その笑顔はここで再会してから初めて見る爽やかな笑顔だった。次の瞬間、彼女の笑顔が僕の視界から消えた。黎子がブレーキを強く踏んだらしく、彼女の車は激しく横滑りしながら方向転換して停まった。それを見た僕も慌ててブレーキをかけて停車させ、すぐにギアをバックに入れて黎子の車に向かって後進して横付けさせた。互いに運転席が隣り合わせになったので、はっきりと会話できるようになった。

「どうしたんだ!」

「私は行かないわ…」

「どうして?」

「私は生き返れないのよ」

「え?」

「本当のことを言うと私の肉体はもうないの…」

「どういうことだ?」

「自殺した時に追突されて、車も私の身体も滅茶苦茶になっちゃったのよ」

「…」

「生き返ることに私が同意しなければ、あんたは生き返ろうとしなかったでしょ。だから仕方なく、同意したふりをして一緒に来たのよ。でも、もうこれまでだわ。この先には私は行くことができないの。じゃあ、ここで私がアイツらを食い止めるから早く行って!」

「…」

「私の分まで人生を楽しんでね。奥さんを大切にしてあげてね…。じゃ、さようなら…」黎子の顔はもう見えなかった。彼女の最期の言葉だけが聞こえた。

黎子の車は魍魎たちに向かって猛スピードで走っていく。しばらくして黎子の車が魍魎たちの車列に激突して物凄い爆発が起こった。

「黎子ちゃん!」僕は生まれて初めて号泣した。激しく泣き叫んだためか意識が混濁してきた。「早くトンネルを抜けなければ…」僕は黎子の最期を見届けると、アクセルを強く踏んでトンネルに突入した。眩しいほどの強い光が僕の意識を失わせた。

22

夢を見た。僕の車は夜道を走っているが、突然胸が苦しくなってブレーキをかけながら道路脇に寄った。すると道路脇には1台の車が停まっていて、僕の車はその車に突っ込んで行くのがわかった。ぶつかる直前、その車にひとりの女性が乗っていて、驚いた表情でこちらを見ていた。黎子だった。

目が覚めた。そこは病院の個室のようだった。右に窓があり、白いレースのカーテンを通して暖かい陽光が差し込んでいる。背中が痛い。起き上がろうとすると左腕に痛みが走った。見れば点滴が取り付けられている。痛みをこらえて上半身だけ起き上がると、排尿のためのカテーテルもベッドの脇にぶら下がっているのが見えた。右腕には血圧と心拍計測器のベルトが巻かれている。

黎子は無事だろうか? 彼女を心配した。しかし僕の目の目で魍魎たちの車に突っ込んで爆発炎上したのを見たのだ。涙が溢れた。彼女は僕のために死んだのだ。

否、さっき見た夢はなんだろう? もしかしたら? と現実に引き戻されて恐怖感が湧いた。

病室のドアがスライドして女性が入ってきた。妻だった。彼女は僕の顔を見て驚いた様子だった。慌てたのか動けない僕に「ちょっと待ってて」とわけのわからないことを言って病室を飛び出して行った。

23

僕は病院で目覚めた。僕は生き返ることができたのだ。

僕の目の前には妻と医師と看護師がいて、医師と妻が僕の顔を見て何か話している。それははっきりとした言葉ではなく、うっとおしいほどの雑音に変わって僕の神経を逆なでる。多分、僕の容態のことを話しているんだろう。

死とはどういうことだろう?生命は不可解だ。第一、人は自分たちがこの世に生を受けた瞬間のことなんか誰の記憶にもないし、ましてや自分たちが死んでからのことなんか誰にもわからないではないか?火葬されて骨になって墓に入る…?それは見た目だけの話だ。ある種の人間以外、自分は本当に生きているのか…なんて思い悩むこともないのだ。

人間は自分の運命や存在や生死を考える限界がある。ある程度まで突き詰めていくと、そこで思考が停止してしまうものだ。何故自分は生まれてきたのか、生まれてきた以上は死ななければならない。死んでからどうなるのか? それを突き詰めて考えることは無駄なような気がする。しかし、造物主はよく考えた構造を構築させたものだ。その造物主でさえ、さらなる造物主が構築させたモノだろうし、第一、造物主が存在するのかどうかも人は宗教頼りにして真実を有耶無耶にしているのだ。

僕の人生はどうだったろう? 少なくとも平穏で幸福に生きられたと思っているが、記憶の中から断片も残さず消してしまいたいことも少なくなかった。

黎子はどうだったのだろう? 僕は高校時代の3年間の片思いだった彼女のことしか知らない。それから紆余曲折した人生を歩んだ果てに自殺という極限までに至った彼女の人生を想像すると、他人事として穏やかではいられない。

妻から真相を聞いた。僕は心筋梗塞を起こしてから病院に運ばれて、2週間近くも意識を失っていたらしい。

「あなたは、うちに帰る途中に心筋梗塞の発作を起こし、意識を失って道路脇に駐車していた車に追突したの。その車の中では女の人が排気ガスを引き込んで自殺をしていたのよ」

衝撃で声が出なかった。そうだ。目覚める前に見たのは夢ではなかったのだ。僕が黎子を殺してしまったのだ。涙が溢れた。「僕が殺してしまった…」それを聞いた妻が「あなたが追突した時に、もう女の人は死んでいたんだって、だから…」諭すように言った。妻は黎子を女の人と言う… 妻は彼女の名前を知らないのだ。

「慰めはいらない。僕が彼女にトドメをさしたんだ」

そういえば、黎子は僕が事故を起こす瞬間を目撃したと言った。彼女は僕を傷つけないように、僕の車が自分の車に追突したことを言わなかった。そして彼女の肉体を大きく損傷させて生き返ることができないような状態にしてしまったんだよ」

「何を言っているの?あなたは車の後ろにぶつかったから女の人には影響がなかったのよ。彼女の車が壊れただけなのよ」

「え?」

「おまわりさんが言っていたわ。過失致死には当たらないって…」そんなことはどうでもいい。妻は何も知らないのだ。

「女の人は明らかに一酸化炭素中毒で亡くなっていたんだって。それに彼女は身寄りがなくて死体の引き取り手がいなくて検死のあとにすぐに火葬されたそうよ…」

そうか、火葬にされて肉体がなくなったから、黎子は生き返ることができないと言っていたのか…。

「どうしたの?」

「いや、何でもない。でも、そんなことまで警察が話したのか…」

「あなたが何故こんなことになったのか知りたくて、私がしつこく聞いたら教えてくれたのよ」

生命は不可解だ。第一、人は自分たちがこの世に生を受けた瞬間のことなんか誰の記憶にもないし、ましてや自分たちが死んでからのことなんか誰にもわからないではないか?火葬されて骨になって墓に入る…?それは見た目だけの話だ。ある種の人間以外、自分は本当に生きているのか…なんて思い悩むこともないのだ。

「冬の命日」

1.

 今日も母は電話に出ない。呼び出し音が数回鳴ったあとに、受話器からは「ただいま留守にしています…」と虚しい声が響いてくる。当たり前だ、死んだ人間が電話に出るはずはない。だって、母はこの世にいないのだから。僕の母は、この1月に死んだのだ。

 「死人が電話に出るわけないよな…」母が生きていれば「はいはい、だぁれ」なんて、いつも同じことを電話を切る。それにしても母の死はあっけなさすぎた。

 母は5年前に脳梗塞で倒れてから数ヶ月の入院とリハビリを経て、再発を抑制するための定期健診を受けていた。その定期健診も昨年で4年が経過していた。その定期健診には僕と妻と妹が交互に付き添っていた。昨年までは母ののんびりとして基本的には好い加減な性格は年を経て強くなっていたので、まだまだ長生きするのだろうと少しウンザリしていた。

 それが昨年の11月に急変するのだ。この日も僕は妻と一緒に前の晩から神奈川の家に泊まり込んで翌日に母の定期健診に付き添った。母はずいぶん前から妙な咳をしていた。いつものように血液検査をして診察を始める前に母と一緒に診察室に入った妻が「咳が止まらないので肺炎を起こしているかもしれない」と医師に伝えた。僕は外で欠伸をしながら母と妻が出てくるのを待っていた。今日も何事もなく診察が終わり、母を実家に送り届けてから千葉に戻ろうと考えていた。

2.

 南林間駅前のタクシー乗り場でタクシーに乗って東林間にある病院へ向かっている。

 南林間を中央林間に進む途中で母は必ず「ここら辺は変わったわ、こんなにたくさんのマンションやお店ができちゃって…ね」と言う。

 車窓の外を見ると僕が住んでいた頃と少ししか変わっていない。変わったといえば、できては潰れる飲食店のカラフルな看板と女子短大入り口交差点にある堅牢な造りの大型のマンションがひとつだけだ。

 僕たちを乗せたタクシーは中央林間駅の北側を横切って、町田の街に抜ける中央林間の狭い道を進んでいく。

 「凄いね、こんなに家がたくさん建っちゃってね…」また母が言う。

 確かにこの辺りはお菓子のような色の建売住宅がまばらに建てられている。それでも街が大きく変わるような印象ではない。最近の母は軽度の認知症を患っているように見える。

 「そうだね…」僕はそう答えながら《ここに家を建てられたら母の面倒を見られるのに…》と考えていた。

 母は4年前に脳梗塞で倒れた。部屋の中で横になってテレビを見ていた母は突然、吐き気に襲われたそうだ。意識が朦朧としたなかで自分の吐しゃ物で汚れた大きなカーペットを畳んでから東京で働く妹に連絡して、そして、千葉に住む僕にも連絡してきた。脳梗塞の発作に襲われた80歳の老女の行動として普通では考えられない。

 僕は慌てた…母に何が起こったのか?このときは脳梗塞とはわかっていない、ただ、気分が悪くなって吐いたと思っていた。急いで神奈川に向かうべきかと迷っていると電話が鳴った。妹だった。母の電話を受けて東京から急いで帰宅中の妹が、新宿駅から僕に電話してきたのだった。

 「お兄ちゃんは来なくていいよ、今、自宅に向かっているから…」妹が言って電話を切った。

 帰宅した妹が救急車を呼んで母が相模原の病院に運ばれるまで2時間近く経っていたが、奇跡的に助かった。命は助かったが脳に多少の障害が残ったために相模原の病院からリハビリのために東林間の病院に転院した。4年経った今でもその東林間の病院にリハビリ後の定期健診に通っているのだった。今日はその日だった。

 母の定期健診には妹が会社を休んで連れて行っていたが、そのうちに妹は会社で忙しい部署に配属されて会社を休むことができなくなったために、代わりに僕が連れて行くことになった。

 この日は、妻の請子も一緒だった。請子の父親は一ヶ月前に僕たちが住む街の老人施設で死んだばかりで、請子は自分の親の面倒を見きれなかったことに後悔しており、僕の母の面倒を見たいと言って着いてきていたのだった。

「お義母さん、ほら、病院が見えましたよ」請子が言った。タクシーは東林間の駅前を右折して木立の中を進んでいく。

3.

 「運転手さん、ありがとうございました。またね」と、母はタクシーの運転手に挨拶する。母は極端な人見知りのクセに、人に嫌われることを嫌がる。だから、相手が”高齢者だから優しくするのだ”ということを忘れて、人が自分のそばに寄ってきてくれれば異常なほどに嫌われまいとして積極的に話しかけたりする。しかし、耳が聞こえなくなっているから、勝手に自分に都合のよい解釈をして会話が成立しない。母がいつからそうなってしまったのか? 多分、父が死んだ13年前からなのだろうと思う。寂しさは人を劣化させてしまう。

 病院の入り口付近に診察券の受付機がある。母は慌てたように「じゃ、請子ちゃん、それを早く受付機に入れてね」と請子を促す。診察券を少しでも早く受付機に通すことで、診察順が早まると思い込んでいるのだ。自分が予約して来院していることを理解していないのだ。

 請子も心得たもので素直に「はい」と返事をして診察券を通してから母の手を引いて神経内科に向かう。20メートルほど歩くと神経内科、眼科がある。そこまでを杖をつきながら請子の手に引かれてヒョコヒョコと歩く母は可愛らしい。最近、母を見るにつけ《小さくなったなぁ》そう思う。若い頃には158センチはあったと思うが、今では160センチの請子よりも頭一つ小さく見える。

 「それをあっちの機械に通すのよ、請子ちゃん」

 「はぁい、お義母さん、わかってまぁっす」

 今度は診察券を神経内科のバーコード読み取り機にかざすことで、自分の診察番号券が発行される仕組みで、ここでも母は一刻も早く読み取りさせることで順番が早まると思い込んでいるのだった。

 「お義母さん、こっちに座りましょう」

 「はいはい」母が請子に促されてソファに腰掛ける。診察室の外のソファには数人の人が診察を待っていた。今日は午後2時からの診察だった。午前中ならば受診客でごった返しているところだが、それを見て僕は少しホッとした。

 今日はいつものようにTという医師に診てもらえば、あとは母を実家に送り届けてから千葉に帰宅するだけだ。たまに仕事の悩みを忘れて実家に帰り、母を病院に連れて行くことはストレスの解消になったりする。それだけでなく医師や看護師と話したり病院でいろいろな人間を診ることが楽しいとさえ思えることがある。

 「請子ちゃん、まだ呼ばれない? あたしの番号よりもあとの番号の人が部屋に入っているわよ」母が言う部屋というのは診察室のことだ。

 「しょうがねえなぁ、母ちゃん、予約制だから受付番号は関係ないって、いつも言ってるじゃん」僕が優しくないことを言うと、請子が「そんなことわかってますよねぇ~お義母さん」優しく声をかける。《ちっ…》僕が心の中で舌打ちをする。

 「そうだよ、あたしはわかってるの、わかってるのよ、わかんないのはお前の方だよ」

 「なんじゃそりゃぁ…ひどいな」と言うと母と請子が苦笑する。

 4.

 診察室から母だけが出てきた。「どうしたの」と聞くと、「もう一度、血液検査して、肺のレントゲンも撮るんだって。あだしは早く帰りたいの。まだ検査なんてさ、やだわ、何かあるのがね」と母は僕の目を見つめる。咳が止まらないのだから肺炎の可能性があるので用心して検査するに越したことはない。

 主治医は「肺に水が溜まっているので咳が出るんです。水が溜まったのは多分、肺がんによるものでしょう。残念ながらお母さんの年齢では手術もできないでしょう。状況から見て長く生きられないと思います。申し訳ないですが、うちでは専門的な治療できないのでY市の病院を紹介しますから紹介状と電子カルテを入れたCDを持って、Y市の病院で診察を受けてください」と言った。『治療もできない余命僅かな末期がん』と聞いて驚いた。あまりに衝撃的で「あ、そうなんですか、ふーん」と滑稽にも冷静なふりをしてしまったのは今思い出しても恥ずかしい。

 僕たちが診察室から出ると、血圧を計り終えた母が待合室のソファにちょこんと座っていた。母は僕たちを純粋な目で見て「あの先生、なんで検査ばかりさせるのがね。あだしは、どっか悪いのかね」と言った。僕は気の弱い母を思って「風をこじらせただけみたいだよ」と嘘を言ってぎこちなく笑った。

 「肺炎かもしれないね、ま、いいから座ってよ」と言って母の肩を叩いた。母は惚けたように病室前のソファーに座った。

 遅れて妻が診察室から出てきた。母に聞こえぬよう妻の耳元で「先生は何て言ったんだ」と聞いた。「ちょっとこっちに来て」と妻が僕の上着の袖を引っ張った。「母ちゃん、ちょっと便所に行ってくるから待っててね」僕と妻は母から見えない場所に座った。妻は泣きそうな顔で医師が言ったことを話した。

 血液検査の数値に異常を感じた医師は「胸のレントゲンともう一度血液検査もやってみよう」と言い、妻が訝って「何かあるんですか」と聞くと、医師は「悪い病気かもしれないね」と言ったそうだ。

 それを聞いた僕は、「悪い病気というのは多分、肺がんのことだな…でもまだ決まったわけじゃない」と自分に言い聞かせて、母が座っている母に不安を伝えないようにして「肺炎かもしれないからまた検査するんだってさ」と言うと、母は「あら、そうなの、めんどくさいわねぇ」と言って、ヨタヨタと妻に支えられながら検査室に向かった。

 再検査を終えて母と一緒に診察室に戻ろうとしたら、診察室の前に看護師が立っていて「あ、お母さんは血圧検査をするので私と一緒にあっちの部屋で検査しましょうね」と母を別室に連れて行った。もう一人の看護師が僕と妻を「息子さんと奥さんはこちらに入ってください」と診察室に招き入れた。

 主治医は「肺に水が溜まっているので咳が出るんです。水が溜まったのは多分、肺がんによるものでしょう。残念ながらお母さんの年齢では手術もできないでしょう。状況から見て長く生きられないと思います。申し訳ないですが、うちでは専門的な治療できないのでY市の病院を紹介しますから紹介状と電子カルテを入れたCDを持って、Y市の病院で診察を受けてください」と言った。『治療もできない余命僅かな末期がん』と聞いて驚いた。あまりに衝撃的で「あ、そうなんですか、ふーん」と滑稽にも冷静なふりをしてしまったのは今思い出しても恥ずかしい。

 僕たちが診察室から出ると、血圧を計り終えた母が待合室のソファにちょこんと座っていた。母は僕たちを純粋な目で見て「あの先生、なんで検査ばかりさせるのがね。あだしは、どっか悪いのかね」と言った。僕は気の弱い母を思って「風をこじらせただけみたいだよ」と嘘を言ってぎこちなく笑った。

4.

 「あのね、紹介してくれたお医者さんだけど、酷いのよ…」と妹が電話口で嘆いた。僕たちが千葉に帰った翌日、妹が会社を休んで、主治医が紹介してくれたY市の病院に母を連れて行ったらしい。僕は電話がかかってくるまで知らなかった。

 気だるそうに母の電子カルテを見た医師はこう言ったらしい。

 「ふーん、なるほど、お母さんはもう手遅れで治療はできないということです。で、私は何をすればいいの…入院してもらって水を抜いてって感じかな? でも、私は、お母さんにがん告知しなければ何もできませんよ」

 医者は非情である。非情にならなければできない職業なのだろう。だから僕は彼らが嫌いだ。

 脳梗塞で入院していた相模原の古い総合病院に入院わずか1ヶ月半後に母は脳梗塞の際に入院していた病院に救急車で運ばれると、20日ほどであっけなく死んでしまった。僕と妹は母につきっきりで看病していたおかげで、最後を看取ることができたが、かえってそれが僕と妹の心に大きな傷をつけたようだ。                                   

「冬の命日-電話」

1.

 一瞬顔をしかめて「痛いっ」と小さく呟いたような表情をするとホルター心電図の機械が喚くように鳴った。それきり母は死んでしまった。僕はその瞬間を待ちわびていたような気がした。

 ほんの数日前まで母は寝起きして話もできる状態だったが、それがあっという間に寝たきりの状態になって、話しかけてもあまり反応がない。たまに反応する時には薄目を開いて「痛い」と言う。「痛いの?」と聞くと、頷いたり首を横に振ったりするものの、それが母に本当に聞こえているのかどうかわからない。意識は朦朧としているに違いない。

 母は昨年11月の定期健診時に手の施しようがない肺がんだということがわかった。気の弱い母に余命いくばくもない肺がんであるなどとは言えなかった。がんによって溜まる腹水を抜くのを「肺炎」だと偽って、以前、脳梗塞を発症した際に入院治療した相模原の病院に入院させた。

 母の肺がんが治癒するわけではない、多分、いつかは死ぬのだが、ここなら母の医療情報があるので入院に適当だと考えたからだ。それから母はひと月ばかり入院していたが、大晦日近くになって「正月は自宅で過ごしてもいい」と担当医師から許可が降りて一時帰宅した。しかし正月明けの5日の早朝に腹痛を訴えて救急車を呼び病院に搬送、そのまま入院した。

 その日は母が入院する相模原の病院で、妹と一緒に徹夜で母の看病をした。このひと月というもの、意識が混濁していつ死んでしまうかわからない母の最期を看取るつもりでいるのだが、妹は健気にも母の病室から新宿にある会社まで通勤していた。病室では早朝から妹が折りたたみ式の簡易ベッドを畳んで、テキパキと動いて顔を洗ったリ歯を磨いたりしているので、まるでこの病室が自宅であるようだった。

 兄である僕はといえば、そんな母と妹が不憫でたまらないのだが、病室に泊まり込んでまで母の看病をするのは嫌だった。僕は子どもの頃から神経質で、高齢者の仲間入りをする直前である現在でも、それは基本的に変わっていない。誰が寝たのかわからない簡易ベッドとダニがたくさんまとわりついているような薄いせんべい蒲団に寝るのが我慢できないのだった。それでも母が入院してから一度だけ妹の代わりに仕方なく病室で母を看病したことがあった。そのときには幸いにも簡易ベッドもせんべい布団もきれいにクリーニングしてあるようだったが、その窮屈さに加えて夜中に何度も見回りにくる看護師が、申し訳ないが、奇怪な悪霊や妖怪のように思えて恐しかった。だから二度と病室での看病はしたくないと思っていた。

 夜の病院は恐ろしい…。特にこの病院は古い病院で、戦後数年まで陸軍病院だった。だから戦地から運ばれて死んだ陸軍兵や、大きな帽子に全体が提灯のような…今見れば不気味にも思える白衣の制服を着ていた看護婦の霊などが病院内にたくさん彷徨っているような気がした。ただし、その古い病棟は外来患者向けであって、母の入院棟は平成になってから建てられたものであるから見た目の不気味さはない。それでも、かつて陸軍病院だった古い建物の跡地に建てられた入院病棟の雰囲気も、あまり気持ちの良いものではない。それに母が寝ているこのベッドも恐ろしい。このベッドの上でいったいどれだけの人が死んだのだろう? と思うと背筋が寒くなるのだ。病院は死臭に満ちている。

 前日の夕方に突然「今日は、お兄ちゃんもママの傍にいてくれるんでしょ」と妹に言われて僕は驚いた。また硬い簡易ベッドに泊まり込みの看病なんてやりたくないからだ。妹には「母ちゃんは起きて話ができる状態じゃないんだから別に死に目になんか会えなくてもいいじゃないか」と言いたいところだ。冷たいわけじゃない、いつ死ぬかわからないのに、そのときを待っているというのは、あまり人間的ではない気がした。

 「わかったよ、泊まればいいんだろ」と仕方なく承諾すると「あたしも一緒に泊まるからさ…」「バカ言うなよ、お前は会社があるんだから、帰ってゆっくり寝ればいいじゃないか」「嫌だよ、明日は月曜日だけど、会社にはしばらく休むって断っているしさ」頑固にそう言う妹には”兄妹揃って母を見送りたい“という気持ちがあるのだろう。「しょうがねぇなぁ」と僕は呆れた。

 「それじゃ、あたしは外でお昼を買ってくるから、兄ちゃんはママを看ててね」と言うと妹はさっさと病室を出て行った。「あ、おい、すぐに帰って来いよ。お前が留守中に何かあったら嫌だからな」と妹を追いかけて彼女の後ろ姿に声をかけた。「縁起でもないこと言わないでよ。わかったわよ、病院なんだから大きな声出しちゃだめよ」妹は呆れたように僕を見ながら足早にエレベーターの方向に歩いて行った。

 ため息をついて病室に戻ると、はぁはぁと荒い息をしながら多分、無意識でであろう酸素マスクを外そうとして右手を自分の顔の前で動かす母親の手を握って「ダメだよ」となだめながら「これからどうすっかねぇ」と母の頭を撫でた。

 母の病室は入院棟の5階にあるため眺めがいい。窓から外を見ると、すぐ近くにあるような錯覚を起こすほどの距離感で丹沢山塊の稜線が連なっている。安っぽい水色をペンキ描きした銭湯の壁画のような青空に、不気味な鱗雲がびっしりと浮かんでいて、鱗の輪郭はやや赤く染まりつつあった。もう夕方なのである。

 子供たちの歓声が聞こえてくる。視線を落とすと病院の庭を隔てた隣に保育園から20人ほどの幼児たちが出てきて楽しそうに騒いでいる。帰宅時間のようだ。迎えにきた母親たちに抱きついたり手をひっぱたり、彼らの個性によって様相が異なるのが面白い。

 入院したばかりの頃の母は、子どもたちの声が聞こえるとゆっくりと窓際まで歩いて行って窓ガラスに手を当てながら子どもたちが遊ぶ姿を見て「あら、今日も子どもたちが遊んでるわ。寒ぐねぇのかしらねぇ」などと呟きながら笑っていたのが懐かしい…といってもそれはたった数週間前くらいのことなのだ。

 「母ちゃん、子どもたちが帰るみたいだよ」と寝たきりの母に向き直って言う。しかし、母は相変わらず目を開けずにハァハァと苦しそうに息をするばかりだ。

2.

 妹が病室を出て母と二人きりになると、ベッドの横に立っているホルター心電図のモニターが気になり始めた。「血圧や脈拍が低くなったら報らせてください」と医師に言われていたからだが、「もし、自分しかいない時に母が死ぬようなことになったら…」と考えると恐ろしくなるのだ。兄妹揃って母が死ぬのを見届けようと望んでいる妹が不在の時に母が死んでしまったら、妹は深く傷ついてしまうだろう。

 母は相変わらず混濁した意識の中で苦しそうにハァハァと息をするだけだ。母は自分が肺がんであることを知らない。肺炎だと思っているのに、入院してから1週間ほどでいつの間にか食事もできなくなり「痛い」以外の言葉もほとんど発せなくなってしまった。一日中、寝たきりで身体も動かせないのだ。死ぬというのは、おそらくこういうことなのだ。自分の身に置き換えて考えてみると、どれほどに辛いことなのか想像できる。

 数日前に母の女性主治医が「退院したらホスピスを考えてください」と言った。長くて3カ月と余命宣告したくせに、ホスピス施設に移動できるようなことを言うのだ。万が一宣告より長く生きた場合の対応を考えろと言っているのだ。僕たち患者家族に「もしかしたら母は助かるのかもしれない」という無駄な期待を持たせているのだ。

 余命告知を打ち消して母がまだ生きるようなことを言われるのは腹立たしかった。「いっそのこと苦しまずに死んでくれ」と心の中で願う自分自身が恐ろしかった。手の施しようがない母の死を待っているのは人間的ではないような気がしたのだった。

 「ちょっと休憩室に行ってくるね」と目を瞑ったままの母に向かって言うと、病室を出た。10メートルばかり先にある休憩室の途中にはナースステーションがあった。そのなかから看護師たちが蜜蜂のように病室まで小走りで行き交っている。

 ステーションを往復して忙しく動いている看護師たちを見ると、彼女たちは人の生命に向き合って、残酷な運命を毎日のように目撃しているからこそ、いつの間にか人としての感情を喪失してしまっているような気がした。僕は彼女たちが悪魔の使いっ走りのような気がして、いつも恐ろしかった。だから彼女たちになるべく接しないようにしていた。廊下で彼女たちに会っても目を合わせないし挨拶もしなかった。

「冬の命日-死に逝く者」

1.

 雲ひとつない空は、澄んだ水をたたえる湖のように僕の頭上に拡がっている。母が死んだ哀しみにこの晴れた空は違和感がある。僕たち家族の哀しみを無視して母の死を天が祝福しているかのようだからだ。そういえば、15年前に父が死んだ時も 同じように晴れていた。おまけにワザとらしいお涙頂戴ドラマでも小さな子供のようにすぐに反応して泣きじゃくる僕が、愛する母親が死んでも一滴の涙も出てこないのだ。

 哀しいのだ、哀しいのだけれど涙が出ないのだ。死んだ母が聞いたら怒るかもしれないが、いつ消滅するかわからない生命の束縛から漸く解放された気がした。

 戦前から日本陸軍の施設として使われていたこの病院の旧病棟は、昼でも幽鬼が漂っているかのように不気味なのだが、その古色蒼然とした趣の旧病棟と隣り合わせの近代的な新病棟との趣は、無理矢理な和洋折衷感に満ちていて、思わず笑ってしまうような滑稽さがある。

 母の遺体が運ばれる霊安室は旧病棟の外にある。僕と妹はその霊安室で病院での最後の儀式を済まさねばならない。僕たちは新館から旧館へと続く長い回廊を重い足取りで歩いていく。母が目の前で死んだばかりで気が動転して何を話していいのかわかならなくなっていて、回廊の窓越しから外を見ると、中庭には小さな紅い花をたくさんつけた一本の樹が見えた。僕はその樹を指差しながら「桃の花かね? 綺麗だなぁ」と言うと、妹は「ママも見たかっただろうね」と言って笑った。

 しばらく妹と一緒になって歩いて行くと、戦中の兵舎のような旧病棟の建物の外に隔離施設のような灰色の建物が見えてきた。この世に遺恨を残して死んでいった死者の霊がその建物を形成しているような不気味な建物だ。「あれが霊安室かい? やだなぁ…」僕が言うと「そうかしら?」と妹は平然としてその建物に向かって行く。その建物の入り口には木製の古い板に「霊安室」と書かれていた。

 引き戸を開けて霊安室の中に入ると土間があって、そこには遺体を寝かせるための大きな壇が設けられていた。その奥には六畳ほどの畳部屋があった。待合室だった。待合室には火のついたガスストーブがひとつだけ置かれていた。僕と妹はガランとした畳部屋に靴を脱いで上がり、母の遺体が運ばれてくるのを待った。

3.

 待合室の奥を見ると薄暗い土間の廊下があって、その先には便所があるようだ。僕は霊安室のサンダルを履いて奥を覗いてみた。死人が徘徊しているような暗い廊下の先に男女それぞれの便所があって、怖がりの僕はそれを使う気にはなれなかった。

 待合室に戻って妹に「おっかねぇ」と言うと、妹は「何が?」と言って不思議な顔をする。「便所がだよ、ありゃ幽霊がいる、絶対にいる」「何言ってるのよ、霊安室なんだから幽霊がいるに決まってるじゃない。バカなこと言ってないで、落ち着いてここに座ってママを待っててよ」妹はふざけていると思ったらしい。それにしても妹の「幽霊がいるに決まっている」と言い切ってしまうのが面白い。

 母親がついさっき死んだばかりだというのに、僕は霊安室の怖さを楽しんでいるかのようで、泣き虫な妹でさえも母が死んだ病室では泣いていたのに今はけろっとしている。もしかしたら無理をして母のことを考えないように精神抑制をしているのかもしれない。

 母親が死んで、僕たち渡部家の血は僕と妹だけになった。僕にも独身の妹にも子供はいない。僕と妹が死ねば僕たちの血は絶えてしまう。妻にも申し訳ないことをしたと思っている。妻の家族にも子供がいない。妻は僕と結婚したことで彼女の家の血も絶えてしまうことになったのだ。

 「今日が母ちゃんの命日になるのかぁ」

 「当たり前じゃないの…」

 「1月19日かぁ…今日死ぬとは思わなかったなあ」

 「うん、まだ3月ぐらいまでは持つと思ったもの」

 「でもよかったよ、母ちゃんがあのまま生きていれば、お前は母ちゃんの看病を続けるからな…」

そう言うと、妹は悲しそうな顔をして母の遺骸を見つめた。

 しばらくすると黒衣の男性2人が入ってきて「お待たせして申し訳ありませんでした、お母さまをご自宅までお送りいたしますので、ご準備願います」と僕と妹に言った。

 僕と妹が霊安室の外に出ると、先ほどの青空に薄い白さが混じってすっかり午後の陽射しに変わっている。僅かに西に太陽が動いたせいか、強い太陽光が目を射って眩しさに瞬間的に目を瞑った。

「冬の命日-南林間の黄昏」

 大晦日の午後、南林間駅上の書店で妹と待ち合わせた。僕が乗ってきた江ノ島行きの各駅停車がホームを滑り出て行くのを一瞥して階段をのぼった。高齢者数人に混じって20代の男女がエレベーターに走り入るのが見えた。「若いんだから階段をのぼればいいのに…」と彼らに聞こえないくらいの小声でぶつぶつと呟きながら改札を出て駅ビルに入った。

 

 「便利で楽なものは人をダメにする…」歳をとり始めて、そう思うようになった。人は生まれた時から苦楽両立して生きるように運命づけられている。生きることにおいて楽をすれば、その分、苦しみが伴うようにできているのだ。

 

 特に最近は体力全般が衰え始めており、なるべく足腰を使うように心がけている。だから、体力がありあまった若者は歩いた方がいいのに…と自らを振り返ってそう思うのだ。

 

 駅ビルの窓から陰りゆく太陽と雲が見えた。母親が生きている時には、この駅ビルの下で母と待ち合わせることが多かった。西陽を背にしてシルエットになった母が脚を引き摺りながら不自由な脚を杖で支えるように歩いてくるのが印象的で、今でも母が歩いてくるような気がする。その母は今年の正月に死んだ。まで生きていたのだから不思議だ。

 書店で面白そうな小説本はないかと品数の少ない書棚を物色していると、「デブがいる」と妹の声が聞こえた。チラリと妹を見て「何だと…俺ほどスマートな高齢者はいないぜ」とおどけて見せた。

「喫茶店に行こう」と妹が言うのに頷くと、一緒に書店と同じ階にある喫茶店に入った。それは全国チェーンのせまっ苦しい椅子が並ぶゴミゴミとした喫茶店で、どこの店舗でも常に会社員や学生や高齢者で席は満杯という満員電車のイメージがある。だから僕はこの喫茶店が嫌いだ。

 死んだ母は、ひとりでよくこの喫茶店に来ていた。母は年寄りのくせにコーヒーが好きだった。母と待ち合わせをする時に母は毎回のように「コーヒー飲んでいくかい?」と僕に聞いた。僕は「この喫茶店は嫌いなんだよ」と言って断った。母が死んだ今では母の気持ちを少しもくんであげられなかったことを後悔している。

 「私が買ってくる、サンドウィッチ食べる? 何飲む?」

 「じゃあ、ミラノサンドとカフェラテ頼むよ」僕は座る場所を確保しようとそのまま歩いて西側にある窓側の席に座った。注文の列に並んでいる妹に「ここに座るぞ」と手を振って合図した。妹は頷いた。

しばらくして妹がミラノサンドとカフェラテを運んできた。

 「あ、呼べよ、俺が運ぶのに…お前のは?」

 「あ、今できるよ」と言いながら席にバックを置いた。

 「お前、何も食わないのか?」

 「出かけたときに何か食べると、おなかの具合が悪くなっちゃうんだよ」

 「神経性のやつね、まだ治らないのか?」

 「精神的なものだからすぐには治らないよ」

 「なるほどね…」と言いながら喫茶店の中を見回した。死んだ母がいるような気がしたからだった。

 「去年の今頃までは母ちゃんが生きていたんだぜ、何か不思議な感覚だね」

 「そうかな? 私はいつもと同じだよ」妹が強がった。いつも母親と一緒に生活していた彼女が僕が想像できる以上に寂しいのだ。

 「11番の方ぁ!」呼ばれて妹は「はぁい!」と返事をすると小走りでコーヒーを取りに行った。

「時計」

 14年前の10月のことだ。日が変わったばかりの真夜中に神奈川の実家で両親と一緒に住んでいる妹から電話があった。妹は泣きながら「パパが死んじゃった」と言った。妹は父親のことを高校生のころから「パパ」と呼ぶようになった。50歳を過ぎてもパパと言うのはなんだか滑稽な感じがする。妹は実家の近くの病院にいて、父親の最後を看取ったと言う。

 父親は夕飯時までは生きていた。妹が仕事から帰宅するまで両親は一緒に過ごしている。母と父は夕方の6時ごろに一緒に夕飯を食べた。その後、父は自分の部屋に入って寝てしまったそうだ。暢気な母は、それから3時間、父を心配するでもなくテレビを観ていた。妹が夜9時ごろに帰宅して、父の部屋に入って様子を見ると、父はベッドの上にうつ伏せに倒れていた。妹が慌てて救急車を呼んで、父のかかりつけの総合病院に連れて行った。妹によれば病院に運ばれるまで父は生きていたそうだが、僕はそうは思っていない。たぶん、父は夕飯を食べ終えてベッドですぐに死んでしまったのだと思っている。

 まともな人間ならば親が死んだらすぐに亡骸の元に向かわねばならない。しかし、僕はまともではない。すぐに帰って父の遺骸に縋りついて泣くような人間ではない。それに電車は動いていないし、車もないし、真夜中にタクシーに乗って千葉から神奈川まで行く金もないのだ。

 「申し訳ないが、明日の朝、そっちに行くよ。よろしく頼む」と言って電話を切ろうとしたら妹は無言のまま電話を切らない。「なんですぐ来ないの?」とでも言いたかったのかもしれないが。「ごめんな、電話を切るぞ」と言うと妹は「うん」と言って電話を切った。

 翌日になった。僕は始発電車に乗って帰るほどの気力がなかった。実は父親が死んだことがやはり衝撃的なのだった。それでも素直に悲しめない自分が疎ましかった。いずれは親が死んでしまうという当たり前のことが信じられないのと、それがあまりにも突然過ぎたからだった。

 妻と2人でゆっくりと千葉の家を出て実家に向かった。昼頃に実家に到着すると妹は無責任で頼りない兄を見て軽蔑したような顔をした。

 妹の気持ちを察すると素直になれなくて「怒るなよぅ」などと甘ったれた言葉を並べながら奥にある居間まで歩いていくと、居間には布団が敷いてあって、その枕側に白蝋で作った人形のように真っ白な父親の顔が見えた。父は静かに目を閉じて眠っていた。

 「来たの?」

 告別式当日は、空気が澄んで空には青空が広がっていた。葬式で僕は「死ぬまで結局何もできなかった父だが、そんな父を僕は誇りに思う」と挨拶した。僕が勤めていた会社の社長は僕の挨拶を「立派だった」と褒めてくれた。

 父の写真を胸に抱いた僕を乗せて霊柩車は火葬場に向かった。霊柩車の窓から空を見上げると1羽の知らない鳥が青空を滑空していた。

 火葬場に着いて父を乗せた台車と一緒に歩く。ガラガラと音をたてて父は焦熱地獄の炉に向かって進む。棺おけの中に父が大事にしていた腕時計を入れようとしたら、葬儀屋の女性が「燃えない金属や燃えて有害物質を出すプラスチック製のものは入れることができないんですよ」と言った。

 火葬場の煙突からポワーーンとした感じで空に上っていく煙になった父が見えた。妻が僕の傍らで「さようなら」と言うと涙が出た。ポンと肩をたたかれたので振り向くと「克弘、人は諸行無常だよ」と言って年上の従兄が笑っていた。その従兄も数年前に突然死してしまった。

 火葬が終わると骨になった父を骨壷に入れる作業になった。中にはピンク色の骨があった。「色がついた骨は故人が病んでいた場所の骨だよ」と誰かが言った。葬式が終わると、親戚たちはそれぞれの家に帰っていった。父の死から告別式まで、まるで夢のような数日間だった。

 僕と妻は、火葬場からまっすぐ千葉には帰らず、いったん実家に立ち寄って休んだ。僕は「骨壷に親父が大事にしていた時計を入れよう」と言った。母と妹が同意したので、骨壺の蓋を開けて時計を骨の一番上に置いた。腕時計はメーカー品ではないが、父がいつも腕にはめていたものだった。

 しばらく母と妹と話をしてから千葉の自宅に向かった。帰りの電車の中では父の思い出が頭をよぎって、何度も泣きそうになった。自宅に着いたのは夜の8時ごろだった。

 疲れた足を引きずってようやく自宅に戻って玄関のドアを開けると、玄関の上り口に何かがある。明かりを点けると驚いた。そこにあったのは先ほど骨壷に入れたはずの父の腕時計だった。よく見ると小さな紙切れのようなものがある。手にとって見ると「お前にやるから使え」と書かれていた。父の字だった。メモはそのまま夢のように消えてしまった。

「湖畔事件」

 僕は中学3年の後半から大学を3年で中退するまで福島県の郡山市という地方都市に住んでいました。

 福島県と言えば磐梯山が有名だと思いますが、その磐梯山の裾野には整備された田園が広がっています。田園の中心部にあるのが猪苗代町です。町には海のように見える広大な湖が美しい水を湛えています。これが猪苗代湖です。湖の北側の畔には猪苗代出身の偉人、野口英世の生家が現在も残っており、休日には観光客で賑わっていました。

 この野口英世の生家から少し離れた翁沢という集落に僕の父親の実家があります。だいぶ前に当主であった叔父が死に、今は従兄が当主になっています。この集落から会津若松に続く県道を渡って数分の場所に猪苗代湖があります。

 翁沢の湖畔から会津若松方向に向かうと長浜という集落があります。ここの高台に昭和天皇が新婚旅行で訪れた天鏡閣(旧有栖川別邸・高松宮別邸)があるためか集落にはレストハウスやボート乗り場などが建ち並びちょっとした観光地になっています。長浜の先を見ると小さな島が見えます。これが猪苗代湖唯一つの島、翁島です。島といっても人が住んでいるわけではありませんが、この島の湖底にはかつての集落が沈んでいます。

 湖畔では叔父が小さなドライブインを経営していました。ドライブインは貸しボート屋も兼ねていて、僕の父は小さなモーターボートを買って、そのボート乗り場に係留していました。父は新しいものが好きで、聞いたことのない大きなアメリカ車にも乗っていました。当時の父は小さな建築会社を立ち上げたばかりで少しでも社長らしく見せようとしていたのでしょうか?

 僕が高校生のとき家族は毎週日曜日に猪苗代湖まで出かけるのが習慣のようになっていました。父は僕にモーターボートを運転させたくて仕方がなかったのでしょう。何時の間にか父にモーターボートの運転を教えてもらい、そのうち一人で湖上を駆け巡るようになりました。もちろん、僕だけでなく父も無免許でした。

 モーターボートといっても2人乗りの小さなもので、金持ちが所有する大型のクルーザーではありません。しかも1つだけ欠陥がありました。エンジンの掛け方によって動力を伝える小さな金属棒が折れてしまうことが多かったのです。これが折れるとスクリューは回りません。もし、湖上で折れて予備の棒がない場合にはオールを漕いで戻らなければなりません。 手漕ぎボートよりも大きいですし、もともと手漕ぎで動くようには設計されていませんから、その場合は大変でした。

 夏休みのある週末、時間は午後3時くらいだったと記憶しています。僕たち家族は父親のアメ車に乗って叔父のドライブインに遊びに来ていました。いつものようにモーターボートの上でピンが折れていないか、予備のピンが入っているかを確認していると、父が上にあるドライブインの外に出てきていてニヤニヤしながら僕を見ています。

 そのとき、バタバタとボート乗り場のデッキを走ってくる音がしたと思ったら、従弟の雄一でした。

「オレも連れて行ってくれ」とモーターボートを掴んでいます。雄一は彼の両親と埼玉県の越谷に住んでいましたが、毎年、夏休みになると、そのほとんどを猪苗代湖にある彼の両親の実家(僕の父親の実家でもあります)で過ごすのが習慣になっていました。

 「しょうがねえなぁ」と言いながら、僕は運転助手ができたみたいで、実はまんざらでもなかったのです。

 僕と雄一を乗せたボートは、真夏の青空をくっきりと映した鏡のような湖上を進みます。湖面の青空がモーターボートによって左右に切り裂かれていきます。空の上からこの光景を見たら凄く美しいでしょう。この日は風もなく凪の日でした。ボートが波を切るとその反動が尻に伝わります。

 「ひゃっほーーー!兄ちゃん、すげーーー!モーターボートって早いんだなぁ」雄一が助手席のハンドルを掴んでピョンピョン飛び跳ねながら叫びます。ボートの上では大声で話さなければ聞こえないんです。飛び跳ねているのは波切の反動のせいです。

 僕たちは湖上に浮かぶ翁島の近くをかすめ、少し遠回りして戊辰会津戦争で有名な十六橋を臨みながら、中田浜に向かいました。中田浜の沖で一度ボートを停めて周囲を見回しました。

 「兄ちゃん、あそこは何ていうところだい?」雄一が目をキラキラさせて聞きます。

 「中田浜だべ。こごらあだりまでは車で来たごどがなかったない」

 「あはは、兄ちゃんも訛ってるな」

 雄一が僕の変な訛りを指摘して笑います。僕が生まれたのは福島のいわきですが、父の転勤で県内や青森、秋田などを引越ししたので、東北弁には間違いないのですが、あちこちの方言が混在しているので不思議な方言になっているのです。

 「あだりまえだべ、いながもんなんだがら」僕も彼の笑いにつられて大笑いしました。

 しばらくプカプカと中田浜沖に浮かんで周囲を観察していました。この日の磐梯山は、青空をバックに神秘的で涙が出るほどに荘厳でした。まもなく陽が沈む変化がないので少し前進することにしました。スロットルレバーを少しずつ引き絞ってスピードをあげていきます。すると変な音が聞こえました。僕にはすぐに察しがつきました。動力伝達ピンが折れたのでしょう。

 「あちゃー、やっちまった」記憶に薄いのですが、動力伝達ピンはスクリューの後方にあって、カバーを外すと中に入っていた気がします。カバーを外すと案の定小さなピンが中心からきれいに折れていました。

 「どうしたの?」

 「故障だ、ボートはすぐに動がせねえがら、ちょっとそのまま立ち上がらないで静かにしてろ」

 「うん」雄一は心配そうな顔をして僕を見ています。

 僕は折れたピンを回収して、予備ピンをそっと入れました。カバーを嵌めてからゆっくりとスロットルレバーを引き絞りました。ヴゥーン・・・ゆっくりとボートが水面を切ります。今度は雄一を乗せているので無理せずにゆっくりと湖面を走らせます。

 湖の周囲を進むのが好きなのですが、予備ピンはもうありません。今度ピンが折れたら、オールを漕いで帰らなくてはならないのです。同乗しているのが幼い雄一ですから反対側のオールを漕げるわけもありません。仕方なく最短のコースをとってボートを進ませました。遥か前方に翁島が見えますが、かなり遠いのです。

 いつの間にか雄一は黙っています。眠いのか危険を察して(たいした事はないのですが)恐ろしいのかでしょうが、僕はあえて聞きませんでした。

 ボートは湖上をさらに進んでいきます。気がつけば周囲は薄暗くなっています。目の前には十六橋の向こうに沈む真っ赤な夕陽が見えました。磐梯山の上には巨大な積乱雲が巨人のように僕たちを威嚇しているようでした。

 無事に叔父のドライブインに到着すると、僕は叔父と雄一の父親に酷く怒られました。雄一が突然いなくなったので心配していたのです。

 「この馬鹿野郎!雄一がいきなりいなくなったがら、てっきり誘拐されだど思って警察に連絡するどごだったんだぞ!」

 「困ったやづだ、もう雄一をボートに乗せるんじゃないぞ!」

 あまりの勢いに「雄一が連れてけって・・・」と言い訳するのも何だかバカバカしくなってきました。

 「雄一はまだ子供なんだぞ、危ないじゃないか!」

 「はい、ごめんなさい・・・」

 「まっだく・・・」

 さんざん怒られてしょんぼりしていると、僕の父がニヤニヤしながら寄ってきて「お前が雄一をボートに乗せているのを見たんだけど、面白いから黙っていた」と言ったのです。

「風を供物に」

                                                              消雲堂 渡部克弘

 壱

 「俺か?」それまで黙って無表情だった義父が、スマートフォンの液晶モニターに映った自分の写真を指差して”自分なのか?”という意思表示をした。

 「そうだよ」僕は、子どもを愛でるような思いで義父の顔を覗き込んだ。久しぶりに反応した義父を見て凄く嬉しかった。おまけにこの時の義父はあどけない子どものような目をしていた。自分の子どものように愛おしい気がするのが不思議だった。

 「年とったら子どもに戻るって言うじゃない。お父さんは子どもに戻ってるんだよ」妻の請子はよく言う。そのたびに僕は「子どもに戻るのとは違うんだよなぁ…」と、曖昧な返事をする。妻が子どもに戻っていると言いたがるのは、まだ義父がまともだった若いころに”救い”を求めているような気がするからだ。請子にはそういうきらいがある。認知症は風邪と同じで、いつかは治癒する病気であると思い込みたがっているのだった。

 この日、僕と請子はK市にある介護付き老人住宅に入居している義父の面会に来ていた。

義父は今年の冬に倒れてから認知症状が酷くなり、認知力の低下だけでなく排尿も自力ではできなくなっていた。尿管にバルーンカテーテルと呼ばれる尿道を拡げる管を挿入して尿バックに強制排尿させる必要があるのだが、管の挿入は「医療行為」になるので、医療従事者以外の手ではできない。請子は「私が自宅で介護したい」と職業訓練で介護職員初任者研修の資格までとったが、この医療行為を伴う義父の在宅介護は不可能だった。

罹りつけの東京の病院に3ヶ月入院した後、埼玉県にある認知症専門病院を紹介されて転院させたが、ここも3ヶ月後には退院させられてしまう。そのため僕と請子は退院後の受け入れ先を必死で探した。

 そんな時、僕たちが住むK市の市役所で介護付き老人住宅施設の存在を知った。僕たちは何度か施設に通って面談し、ようやく義父をその施設に入所させることができた。また、この月の18日は義父の誕生日であり、施設では入所早々に誕生日を祝ってくれている。請子は自分の近くで父親の世話ができることを心から喜んでいた。

 ただし、認知症の症状は日増しに進み、時折、名前を呼ぶと返事をすることがあるものの会話は成り立たなくなっていた。この日は、義父が僕に対して意思表示したことから僕は義父と会話した気になっていた。その時、請子は施設の事務員と話をしており部屋にはいなかった。

 施設を出て自宅まで歩いている時に請子にその話をすると「いいなぁ!お父さんは実の娘の私とは口もきいてくれないんだもん」と言って頬を膨らませた。

 それから3日後に義父は死んだ。

 弐

 その日、早朝に電話が鳴った。まだ覚醒しきっていない眼をゴシゴシとこすりながらベッドから起き上がって、そのまま電話の音を聞いていた。僕の横を見ると寝ているはずの請子がいない。仕方なく電話に出ようとすると、先に請子が受話器を取っていた。外にゴミ出しに行って帰って来ると、電話が鳴っていたので受話器を取ったらしい。僕は請子の声を聞きながらヨロヨロとベッドから降りて電話がある居間のソファに座った。

 「おはようございます。あ、お世話になっています。何かありましたか?  あ、はい、は、はいはい…ええっ!」と叫ぶと、請子はその場に泣き崩れてしまった。慌てて「どうした?」と駆け寄っても返事をしないので、請子の手から受話器を取って電話に出てみると、義父が入居している施設の所長の声が聞こえた。

 「あ、ご主人ですか? あのう…申し上げにくいのですが、今朝、担当者がお父様の部屋に入ったら、お父様がベッドの上に倒れていて、既に心肺停止状態だったんです…それで、ご契約の際に万が一の場合には延命処置をとらなくてもよいということだったのですが、この場合、どうしたらよろしいかと思いまして」と言う。(多分義父は死んでいるのだろう。はっきりと死んでいると言ってくれればいいのに)と僕は心の中で呟いた。何となく義父の死が間近に迫っていることを予想はしていたけれど、それがあまりにも早すぎて驚いた。この施設に入居したばかりで、しかも、義父はこの間、誕生日を迎えたばかりだった。僕は人の運命の儚さと残酷さを改めて感じた。

 「あ、そうですか。うーん…でも、一応、救急車を呼んでいただけますか?」

 「あ、あ、そうですかぁ…やっぱりそうですよね。はい、わかりました、それではすぐに施設にいらしてください」電話を切ると僕たちはタクシーを呼んで施設に急いだ。

 なぜかこの日は施設までの道のりを遠く感じた。タクシーの車窓から見える街の風景も、いつもとは違って見えた。隣の請子を見ると最悪の不幸を予測して泣きじゃくっている。僕は肩を抱いて「大丈夫だよ」と声をかける以外なかった。

 僕たちを乗せたタクシーが施設に着くと、救急車が義父を乗せずに空の車で戻る準備をしているところだった。請子が救急隊の男性に「父は助かりますか?」と聞くと、男性は無言のまま首を横に振った。「ああ…」と倒れそうになる請子を支えながら、義父の部屋まで歩いていくと、部屋の前に立っていた救急隊の男性が中に招き入れてくれた。遺体の傍に駆け寄ろうとする請子を救急隊の方が両手で、そっと制して「申し訳ありませんが、検死のために現場保存する必要がありますので部屋のものやお父さんが身につけているものには触れないようにお願いします」と言った。

 義父のベッドの下には電極パッドがむき出しになったAED装置が転がっていた。義父は、ベッドの上にパジャマ姿で仰向けで硬直していた。右足が少し突っ張るように伸びて、シーツを下方に押し出していた。頭は枕からずり落ちて、両目を見開き、口を大きく開いて、突然やってきた死の瞬間を「信じられない」と叫ぶように天井の一点を凝視していた。

 「お父さんっ!」請子は父の傍らに崩れ落ちて号泣した。僕は彼女が倒れないように支えながら「大丈夫、お父さんは自由になれたんだから、お義母さんに会いに行ったんだから」と言って彼女の気を静めようとした。義母の風子は12年前に死んでいる。義母は風の子、風のように精一杯飛んで死んだ。

 請子の肩を抱き支えながら、義父の表情を伺ってみた。先ほど見た苦悶の表情が少し和らいだように見える。「お父さん、お父さんっ!」泣き叫ぶ請子は義父のベッドの枕元に両肘をついて義父の顔を間近に見ながら「お父さん、本当にごめんなさい!」と言うと、そのままバランスを失ってその場にへたり込んでしまった。

 僕は義父の苦悶の表情を凝視しながら「苦しかったの? 可哀想に…」と言ってみた。元気な頃の義父ならば「苦しくなんかねぇよ」とひねくれた返事が返ってくるのだが、今の義父の表情はあまりにも苦しそうで、とてもそんな元気な返事が返ってきそうに思われない。その姿があまりにも哀れに見えた。

 「迷惑ばかりかけてごめんね」と心の中で呟きながら義父の禿げ上がった頭を撫でた。皮膚は冷蔵庫の中に長く放置されたリンゴのように冷たい。今度は頬に触れてみた。硬いゴムの表面に、薄いこんにゃくを貼り付けたような触感だ。それでも手の平で温めれば体温が戻ってきそうな感じだった。

 そこに警察だと思われる人間が4~5人入って来て「ご家族の方、大変申し訳ないのですが、少しの間、部屋の外で待機していてください」と事務的に言った。

 義父から離れようとしない請子を立たせて、支えながら施設内にある談話室のソファに腰を下ろした。請子はハンカチで顔全体をおさえながら「うううう…」と嗚咽している。僕は少しでも慰めようとして普段は口にしないような自分でも気恥ずかしくなるような言葉がいくつも口から出てきて思わず赤面してしまった。

 現場検証が終わると、亡骸は検死のためにK市の警察署まで運ばれて行った。病院以外で死ぬと事件性がないかを調べるのだ。数時間後に請子が警察署まで亡骸を引き取りに行って戻ってくると、義父の目も口も閉じられ、苦悶の表情は消え、眠っているような穏やかな表情に変わっていた。

 参

 僕たちには義父の葬式を行う費用がなかったため、結局、火葬だけ行うことになった。

火葬の日は関東地方を台風が通過中で、僕と請子はビニールの合羽に身を包んで激しい風雨の中を施設まで歩いた。途中でコンビニの大きな看板が吹き飛ばされて歩道に倒れていた。

 施設では好意から義父の「お別れ会」をしてくれた。施設の職員と入居者が50人ほど集まって義父の死を悼んでくれた。

 ほどかれて1本ずつに分けられた供花は次々に義父の棺に入れられて、義父はたくさんの花の中に埋もれた。柄にもない花に包まれた義父の表情はなんだか滑稽に思えた。

遺影を抱いて霊柩車に乗り込む請子に僕は「頑張れよ」と声をかけた。「何を頑張るの?」と言って笑った。久しぶりに彼女の笑顔を見た。笑顔の請子を乗せた霊柩車は静かに走り去った。僕たちもタクシーに分乗して火葬場に向かった。台風は既に通過して青空に太陽が浮かんでいた。

 僕たちは火葬場の骨上げのための狭い部屋で焼かれた義父の骨が運ばれてくるのを待-っていた。ガラガラガラと外から大きな音が聞こえると、自動扉が開いて義父の骨が乗った大きな金属製の台車を請子が運んで来た。その骨を運ぶのは遺族の役割だった。

僕は台車の上の義父の骨を見て驚いた、両足の骨は大腿と脛がそのままの形で残っていたからだ。それは実物大の人骨の標本のようだった。

 骨上げを終えると火葬場の担当者が「脚の骨がしっかりしていたからでしょうね。私たちもあまり見たことがないです」と言いながら、大きな骨をガツンガツンと砕きながら無造作に骨壷に押し込めてしまった。請子は複雑な表情でそれを見ていた。

 すべてを終えて僕たちが火葬場を出ると、強い風が吹いて台風に振り落とされた落ち葉を舞い上がらせた。請子が「お父さん、風子お母さんが迎えに来たよ」と言って、また笑った。

 

 「江戸川サイクリング」

               

 稔は、痛む膝をかばいながら、ゆっくりと歩いた。稔が住むマンションの部屋は11階にあり、室外の共有の廊下からはビルの間に富士山が見えた。「ふう…」稔は、その日本一の山をいまいましく一瞥しながらため息をついた。稔は75歳になったばかりだ。

 稔の膝が痛むのは軟骨が磨り減って神経に触るからだ。最近は膝が痛いだけではない。自分では気づいていないが最近では軽い認知症のような症状があった。随分前のことは良く覚えているのだが、最近のことはすぐに忘れてしまう。さっき食べたものが何だったのかさえ忘れてしまうほどだ。それを一緒に住んでいる娘の佐知子に指摘され始めていた。佐知子は元来がさつで自分本位な性格で、自分の父親が認知症の初期症状であることなど気づかないし、そうだと知っても父親の世話をつきっきりで看なくてはならない面倒な認知症であることなど、彼女は受け入れなかっただろう。佐知子は今年で50歳を越えるが結婚したこともなかった。孤独感が佐知子の心を既に壊していた。

 少し足を引きずりながらエレベーターに乗ってマンションの階下にある駐輪場に向かった、エレベーターを降りると同じマンションの住民が無愛想な表情で数人乗り込んで行った。「ちっ」稔は満足に挨拶もできないこのマンションの住民が嫌いだった。

 「満足に挨拶もできないくせに気取りやがって…」と呟きながら駐輪場の重い金属製のドアを押し開けた。駐輪場は暗く、目も見えなくなってきた最近は自分の自転車を見分けることも難しくなっていた。やはり少し迷ってからようやく自分の自転車を見つけるとポケットから小さな鍵を取り出して鍵を外した。

 稔は娘と二人暮らしだ。娘は夜遅く帰ってくるので父親の世話ができない。休日には父に構わず外出した。稔はずうっと一人暮らしのような生活だった。娘が仕事に行っている昼間は暇をもてあましていたが、元来人付き合いの下手な彼は誰に会うでもなく、半日を室内でテレビを見て過ごし、夕方にはマンションの前にある大型スーパーに行って、夕飯にするための値引きされて安くなった弁当を買ってくる。それが日課になっていた。稔は数年前に死んだ妻の代わりはできなかった。整理好きな彼にとって掃除洗濯はお手のものだが、料理だけは作れなかった。

 娘の分の弁当を用意していても、彼女が日をまたいでから帰宅するときには、「外で食べてきたから」という一言だけで、娘のための弁当は、稔のその日の昼食になった。最近では「そんな余りものの弁当なんて食べないよ」と娘にはっきりと言われるようになってしまった。稔は孤独だった。

 稔は自転車を駐輪場から押し出すと少しよろめきながら、マンション横を通る広い産業道路を渡る横断歩道で信号が青になるのを待った。産業道路を山積の荷を運ぶ大型トラックが休む間もないほどに行き交っていた。「車か…」稔は10年前に妻に死なれてから体のあちこちが痛み出して車の運転ができなくなってしまった。稔は定年を迎え、当時K市の市会議員を勤めていた妻の送り迎えに車を運転していたし、運転にはそれなりの自信があった。運転できなくなったことが、さらに稔の孤独感を増幅させた。

 結婚して千葉に暮らす長女の祥子の亭主が、その車を売り払って新車を購入する頭金として、月々の支払いも稔が貸してやった。家族の中に車を持っている者がいれば、残った家族全員で仲良くドライブするのも夢ではなかった。しかし、その小さな夢さえも叶うことはなかった。義理の息子は稔の期待に応えてはくれなかった。車の購入費用は完納してくれたものの、祥子夫婦は自分たちの楽しみだけに車を使い、稔を省みることがなかったのだった。叶わぬ夢を抱いた自分が惨めだった。自分の中には、車に対する愛着が眠っているのだった。「金の問題ではなく車を運転できないのが辛いのだ」と稔は落胆した。

 産業道路の信号が青に変わった。稔はまたよろめきながら自転車を押して横断歩道を渡った。振り返ると住んでいるマンションが巨大な岸壁のように聳えていた。

 ここに移り住んで来た頃はまだ幸福だった。妻も生きていたし、車もあった。娘たちも身近に感じた。マンションの近くには妻の腹違いの母や半分同じ血が通った兄妹も暮らしていて、互いに仲良く行き来していた。マンションの購入に当たって兄弟たちは喜んで大金まで貸してくれた。

 ところが妻の病気が不治の病で余命いくばくもないと判明すると、その幸福は脆くも崩れた。腹違いの兄弟たちは手の平を返して「自分たちが貸した金を返してほしい」と病床まで詰め寄って妻を、自分たちの姉を責めた。妻はそれからしばらくして死んだ。後に残ったものに幸福という2文字は見当たらなかった。

 稔はひとりぼっちだった。娘さえも自分の気持ちを理解してくれなかった。「なんでお前は死んでしまったんだ…」稔は妻の写真を胸に抱えて泣く日が多くなった。

 自転車に腰掛けるとマンションを背にして北に向かってハンドルを向けてペダルを踏み出した。稔は自転車で妻の墓まで行くつもりだった。

 弐

 祥子が自宅で昼食の後片付けをしていると、電話の音が鳴った。

 祥子は洗い終わったばかりの食器を食器乾燥機に入れて、タオルで手を拭きながら慌てて電話の子機を手にとって電話に出た。受話器の向こう側から父の稔の声が聞こえた。父の声と一緒に強い風の音が聞こえた。(外にいるのかな。父はどこにいるんだろう、もしかして徘徊だろうか…)祥子は不安になった。

 「お父さん、どうしたの」

 「今さ、どこにいると思う」

 祥子と話すとき、父はおどけてばかりいる。もともと稔は明るい性格なのだ。それでも人の好き嫌いが激しいばかりに偏屈だと思われがちなのだった。

 「何よ急に、どこにいるの」(認知症による徘徊だろうか)祥子の不安は増した。

 「へへへ、江戸川の土手の上を走っているんだよ。川沿いに走れば墓まで行けるんだよ」

 「何!ダメだよ、危ないじゃないの、戻りなよ」

 「大丈夫だよ、家から一時間ほど走れば、あんたのお母さんに会えるのに気がついたんさ」

 「わかったから、走りながら電話しちゃ危ないよ」

 「大丈夫、今は土手に座って休んでいるんだよ」

 「で、今はどこにいるのよ」

 「うーん…地図見てもわかんねぇなぁ、タンエって読むのかなぁ。」

 「タンエ…」(どこだろう…あ、多分、瑞江(みずえ)のことだ

 「とにかくさ、膝が悪いのに自転車で、お母さんのお墓まで行くのは危険だよ、お願いだから家に戻ってよ」

 「やだよ、墓まで行くって決めたんだよ。土手の上は気持ちいいぞ、お前も来ないか」

 「そこがどこだかわからないのに行けるわけないじゃん」

 「墓まで来ればいいんだよ、墓に行くんだから、俺は墓で待ってるから」

 「お墓まで行ったとしても、帰りは、またお父さんひとりで自転車に乗って帰るんでしょ。危ないじゃない。それに今日はこれから歯医者に行かなくちゃならないんだよ、お願いだから家に戻って…」

 「なぁんだ、そうなのか、しょうがねぇな、じゃひとりで行ってくるよ」

 「お父さん、やめてって」

 「うるせぇ」電話は切れた。

 「ったく、短気なんだから、わけわかんない」

 祥子は食器乾燥機の電源を入れてから深くため息をついた。

 「やっぱり心配だ」

 食器乾燥機の唸るような音が聞こえ出すと、祥子はゆっくりと電話機の子機を手に取って稔の携帯電話に電話をかけた。(出ない…怒ってるのか)

 祥子は、居間の食器棚の上の稔と稔が江戸川の土手の上を自転車を懸命にこいで全力疾走している姿を想像して涙を流した。(お父さん、いっつもお母さんと一緒だったもんね)稔の孤独が少しだけ見えた気がした。仏壇代わりにしているレンジ台の上に置いている母の写真に手を合わせて父の無事を祈った。

  

 祥子は結婚して千葉に住んでいた。もともと親孝行な娘だったが、結婚した相手が最悪な男だった。この男のせいで父親の稔には迷惑ばかりかけていた。そんな男と離婚することもできない自分にも嫌気がさした。父には申し訳ないと思っていた。

 参

 稔は左に見える江戸川をチラチラ見ながらペダルを漕いだ。漕ぐたびにガシャコンガシャコン…と音をたてる。

 川からの心地よい風を老いて皺だらけになった顔に受けながら走るのは実に気持ちよかった。しばらく走ると稔の視界に自分と同じ年くらいの2人の老人が釣りをしているのが見えた。鯉のぶっこみ釣りだが、稔には何を釣っているのかわからなかった。

 「あんなとこで釣れるのか…何が釣れるんだべ、面白そうだなぁ」

 稔は子供のころに故郷の炭鉱町を流れる遠賀川で鮒釣りをしたことがあるが、大人になってからは釣りをした記憶がない。祥子の亭主が釣りを趣味にしていて、祥子と夫婦でよく釣りに出かけているのを知っていた。(あんなもの何が面白いんだ)稔はいつもそう思っていた。でも、今は暇だからあの男性たちに混じって釣りするのも暇つぶしにはいいかなと思った。

土手の上の自転車道路を走るのは気持ちがいい。釣りを見ながら走っていたら、正面から装甲車のような自転車の前後に子供を乗せた走ってきた若妻グループとすれ違いざまにぶつかりそうになった。驚いて思わず「危ねぇじゃねぇか、この…」と叫びそうになったら若妻たちもそれに気づいたのか、そのうちのひとりが稔を睨みつけて「ちっ」と舌打ちしたら、それに合わせてグループの女性たちが 「ひゃはっはは」と奇妙な笑い声を発しながら走り去った。

 「ちっくしょう…最近の母親は、みなヤクザみてぇだ」

 稔はブツブツ文句を言いながら自転車を漕いだ。向かい風が吹き始めてペダルを漕ぐ両足に力が入る。あっという間に額に汗が吹き出てきた。

 「楓子は優しかったなぁ」稔の脳裏に楓子の優しい笑顔が浮かんだ。また涙が出た。楓子が死んでから稔は涙もろくなっていた。(男が泣くなんて…情けねぇ…)そう思いながらハンドルから左手を離してジャンパーの袖で涙を拭いた。涙もろくなったが若いときのように涙は止め処なく流れることはない。

 ペダルを漕ぐたびに自転車のチェーンとギアがガシャコンガシャコン…と音を出す。

 向かい風はさらに強くなってくる。両足に力が入る。額から流れ落ちた汗が目に入って痛い。(涙の次は汗かよ…)今度はハンドルから右手を離してまぶたを拭う。拭ったことで一瞬目の前がぼやけて見えた。そのとき稔は右手の対岸に一筋の煙を見つけた。人が燃える際の煙だった。(楓子を火葬したところだな…)10年前に妻の楓子を火葬した瑞江葬儀場の煙だった。

 

 楓子は肺がんの末期宣告を受けてからひと月ほどで死んだ。楓子は「西洋医学の治療は受けない」と言ってきかなかった。西洋医学を根拠なく否定して、呪術のような治療行為やよくわからない漢方薬を併用する民間の代替治療を信じた。稔もそれを受け入れてやることしかできなかった。そのために楓子の病状はあっという間に進行してがん細胞は両肺を埋め尽くしてしまっていた。救急車で運ばれたときにはもう手遅れだった。しかも余命はひと月以内だろうと医師は言った。

楓子が死んだ責任の一端は自分にもある、怪しい代替療法など強く反対すればよかったのだ。悔やんでも悔やみきれない…妻を亡くしてしまった悔しさは10年経った今でも拭い去ることができなかった。